以前、介護現場に存在する「理想主義者」と「現実主義者」に関する記事を書きました。
記事の結論としては「キラキラしている理想主義者は現実が見えていない新人職員レベルの存在」で、「現実主義者は可能な限りの理想を見据えながら現実的に動ける存在」ということになります。
そして、「理想主義も兼ね備えた現実主義者は今後必要な存在である」とも書いたのですが、中には「キラキラってそんなに悪いこと?」というようなご質問を頂いたので、この記事にてご回答差し上げたいと思います。
「キラキラが悪い」とはどこにも書いていない
ご質問があった記事を自分でも再度確認しましたが、私はどこにも「キラキラは悪い」「キラキラは介護現場からいなくなれ」などということは書いていません。
恐らく、記事の雰囲気や流れや結論から、「この人はキラキラは悪いことだと言っている」「自分のことを言われているのではないか」という「脳内飛躍系」のご質問だと拝察いたします。
自分も新人の頃はキラキラした理想を抱いていた時期もありますし、新人がキラキラしている姿はフレッシュさを感じるのも確かです。
事実として、キラキラしているのは「新人職員レベルの人」ということは書きましたが、それが良いとも悪いとも書いていない以上、回答としては「どこにもキラキラが悪いなんてことは書いてないし言っていないのに、飛躍した脳内変換をぶつけられても困る」ということになります。
本当にキラキラは悪くないのか
では、改めて「キラキラ系介護士は悪い存在ではないのか」ということを考えると、以下に当てはまれば「悪い存在」「困る存在」だと言えます。
こんな職員が現場にいたら困る
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やはりどう考えても「現実が見えていない」のです。
「自分のやりたいケアができなくて我慢している人もいる」のかもしれませんが、それは「現実が見えているから我慢が出来ているので現実主義者」なのです。
周りに迷惑を掛ける存在である以上、キラキラ系だろうとそうでなかろうと「困る存在」と言えます。
そういう人がキラキラした職員に多いのは事実です。
基準を「外部」に置くか「内部」に置くか
介護業界には、自分の基準を「外部」に置くポジティブ派と、「内部」に置くネガティブ派が存在します。
キラキラ系やなんちゃらプロジェクトとかは、基準を世間や社会などの「外部」に置いている。
ネガティブと言われる情報発信をする人は、基準を事業所内や介護職そのものの「内部」に置いている。
同じ介護でも「外部」と「内部」では交わることはないし似て非なるもの。— 介護職員A@介護福祉士ブロガー (@kaigosyokuinA) May 15, 2019
外部とは、介護現場そのものではなく世間や社会などで、内部とは介護現場や介護職員そのものの在り方などのことです。
「ポジティブは良くてネガティブは悪い」という先入観があるために、基準を外部に置いている人の方が良く見えがちですが、外部に基準を置いている人は介護現場の実際の苦労や問題点には目を向けないために「本質」が見えていません。
内部に基準を置いている人は、実際に介護現場の最先端で汗水垂らして働いている人なので、問題点などの「本質」が見えています。
「本質が見えるからネガティブなものが沢山見える」のです。
この両者は、向いている方向やベクトルが全く違うのでお互いの考え方が交わることはありません。
そして、内部を知らずして外部に基準を置くことは「砂上の楼閣」であり、介護現場に赤じゅうたんを敷いて歩くような人が介護を語り現場に介入してくるから「困った存在」になるのです。
最後に
今回は「キラキラ系介護士やキラキラすることは悪いことなのか」ということについて記事を書きました。
キラキラ系介護士やキラキラした職員は、自己陶酔をする中で自己解決して自己完結しておいてくれれば良いのですが、それを外部に発信しはじめて周りの職員に迷惑が掛かる存在であれば「悪い」と言えます。
「周りや他人に迷惑を掛けることは良くないこと」だということが理解できれば、記事の内容が理に適っていることもおわかり頂けるかと思います。
ちなみに、新人職員がキラキラしているのは悪い存在だとは思いません。
そもそも、知識や経験がない状態の入職する前後の研修などでキラキラしたことを教えられたりしますし、今後まだ伸びしろがあることと、周りに迷惑を掛けているわけではないからです。
そしてその後に、実際の介護現場は「綺麗ごとではやっていけない」「研修は机上の空論だった」ということは、働き続けていけば身に沁みることでしょう。
身の置き所を内部から外部に逃げ出せばキラキラしたことも言い続けれるのでしょうが、そんな人ばかりでは現場は回らないのです。