以前書いた記事で、愛知県あま市のグループホームでの事件について触れました。
前回記事のタイトルに【介護職員も人間です】と書いていることからもわかるように、私自身は
「被害者である介護職員に同情している」
「警察が介入し殺人未遂事件として処理されていることを評価する」
「入所者から職員への加害行為が報道されたことは良いことだと思っている」
「むしろ、上記の対応は当然のこと」
というスタンスです。
もちろん、意見や考え方には色々あって、賛否両論もあるだろうとは思っていましたが、私の意見の根拠は「紛れもなく介護職員も人間だから」ということになります。
今回は、その根拠を大前提として「加害入所者を擁護する意見」と「被害職員を非難する意見」の2つについて物申したいと思います。
加害入所者を擁護する意見に物申す
こういう入所者を擁護するような意見は、今までの介護業界はスタンダードだったわけですから、「正義感を振りかざしながら言い出す人がいるだろうな」とは思っていました。
意見①「介護は奉仕の精神が大前提」
この考え方は、介護業界が始まった頃からの悪しき方針になります。
言い換えれば「自己犠牲の精神」ということになります。
「自分を犠牲にしてでも相手に尽くす」
「見返りを求めない精神」
「それこそが福祉精神の本質であり介護従事者の使命」
という考え方です。
まず最初に指摘しておきたいのは、百歩譲ってそうだとしても
「それは介護従事者の安全と基本的人権が保障された上での話」
ということです。
何も保障されていない状態でそういう方針を強行すると「超ブラック」「人権無視(侵害)」「治外法権」になってしまいます。
残念な話ですが、その点を履き違えてしまった介護業界は今まで「介護職員を奴隷か召使いのような扱い」をしてきました。
介護職員の人材不足と介護業界の衰退を致命的にしてしまった最大の原因でもあります。
加害入所者を自己犠牲の精神で擁護する前に、介護職員の人権や権利を擁護し安全を保障していくのが「健全な職場環境」だと言えます。
不健全な職場環境では健全な介護は提供できないのです。
意見②「認知症は病気なんだから逮捕はいきすぎ」
「暴力や殺人未遂などの犯罪行為を犯してしまった認知症者であっても、認知症者は善悪の判断がつかず、自分でもわからないまま行動しているのだから、晩節を汚すような通報や逮捕などはせずに、もっと柔軟な対応をするべきではないのか」という意見もありました。
確かに認知症は脳の病気です。
誰でも発症する可能性がありますし、今後益々、認知症者は増加していくでしょう。
だからと言って「認知症者の逮捕はいきすぎ」という意見には甚だ疑問に感じてしまいます。
刑法の適用範囲は「犯罪行為が日本国内で発生した場合(属地主義)」「加害者や被害者が日本人である場合(属人主義)」となっています。
憲法に至っては「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない(第十四条)」と規定されています。
認知症者が病気であろうと、「日本に住む人間(国民)」である以上、「法の下に平等」なのは間違いありません。
ここを否定すると「認知症者は人間ではない」という極論にいきつきます。
もしくは「介護職員は人間ではない」とでも言うのでしょうか。
それとも「介護施設内は日本国憲法や法律が適用されない治外法権の場所」という認識なのでしょうか。
どの考え方も異常です(今までの介護業界はそういう意味で異常でした)。
認知症であっても、病人であっても、介護施設内であっても、日本国内で生活をしていれば、等しく法律の適用を受けるのは当然です。
ですから、認知症者であっても犯罪行為があれば「逮捕されるのが当然」であり、その先に「同情の余地はあるか」「起訴となるか不起訴となるか」というのはまた別の話なのです。
「本人の意に反して晩節を汚す」ことについては、法治国家なのですから、それこそ「司法の判断」を仰ぐ必要があります。
今後の認知症者の増加とともに「認知症になってしまった場合、晩節を汚すことも自分の生きざまである」ということも、ひとつの人生の選択肢であるということを自分や世間が受け入れていく時代が来るのではないでしょうか。
そもそも「加害者の世間体」よりも「被害者の受けた傷」に目を向けていくのが「本当の福祉精神」なのではないでしょうか。
意見③「その後の対応を考えるのが介護従事者の使命」
「そういう犯罪行為をしてしまった理由や精神状態をもっと分析して、今後の対応やケア方法を検討していくのが介護従事者としての使命ではないのか」というような意見も見受けられます。
それはそうなのかもしれませんが、今まで介護業界が全く同じような対応をしてきて「全然上手くいっていない」という現状があります。
社会正義を盾にした斬新な意見のように聞こえますが、「介護業界では今までそうしてきた結果が今」なのです。
介護職員は被害を受けるばかりで何の救済もされず、日々疲弊し、どんどん辞めていき、誰もやりたがらない職業となり、人員不足に喘いでいます。
そんな状況下で、介護現場ではやっと「犯罪行為は扱えません」という正常な判断ができる事業所が増えてきました。
確かに契約書や重要事項説明書などには「自傷他害行為のある人は契約を解除することもあります」という旨の記載はありますが、この文言が実際に発動することは殆どありませんでした。
明文化していても、実行や行使する決断ができない事業所ばかりなのです。
その元凶が「福祉精神」や「世間体」や「痛い思いをするのは自分じゃなくて現場職員(奴隷)たちだから」という管理者や経営者の考え方であったのは間違いありません。
もちろん、犯罪行為に至るまでに、精神科で医療的な治療を受けさせるという選択肢もあったのでしょうが、「犯罪行為後の対応を考えるのは介護従事者ではなく警察官・検察官・裁判官」になります。
被害職員を非難する意見に物申す
「加害入所者を擁護する意見」とセットで出てくるのが「被害職員を非難する意見」です。
「泣きっ面に蜂」「踏んだり蹴ったり」という「被害者攻撃」は他のニュースや事件でも見かけましたが、今回の介護現場での事件でもやはりそういう意見を目にしました。
意見①「パーカーを着て入浴介助をするから悪い」
この意見については、私も前回の記事で最後に触れましたが、確かに疑問に思う点ではあります。
パーカーには大体「紐」がついていると思いますが、そういう「介助するに当たってリスクの可能性があるもの」は身に着けないのが普通です。
例えば他にも
- 指輪
- ネックレス
- 腕時計
- 名札(縫い付けてあるものを除く)
- 胸ポケットにペン
などは通常、介助中は身に着けません。
壊れてしまうリスクや利用者に当たって怪我をさせてしまうリスクや、今回の事件のように自分の身の危険を最小限に抑えるためのリスク管理になります。
ですから、確かにパーカーを着て入浴介助をしていた点は反省する必要がありますが、だからと言って「入所者から意識を失うくらいの強さで紐で首を絞められる」のはまた別の問題です。
パーカーを着て入浴介助をすることは法律違反ではありませんが、他人の首を絞めることは犯罪行為なのです。
まずは、この点を理解しておく必要があるかと思います。
パーカーを着ていなくても、髪の毛の長い女性スタッフなら髪の毛を引っ張られたり、その髪の毛で首を絞められる可能性だってあります(束ねていてもです)。
メガネをしていれば、メガネを破壊されたり、メガネを奪って武器に使用してくる可能性もあります。
結局は「結果論」「たられば」の話であり、今回の事件で重要なのは「人間(入所者)が意識を失わせるくらいの強さで人間(職員)の首を紐で絞めた」という点なのは変わりありません。
ですから「犯罪行為をしたので逮捕」という選択は間違ってはいません。
それが理解できない人は、思考が「犯罪者脳(サイコパス)」になっている可能性があるのではないでしょうか。
意見②「介護の対応の仕方が悪かったのではないか」
認知症の周辺症状(BPSD)には「暴言・暴力」があります。
但し、全ての認知症者に出現するわけではなく、個人個人の状態や性格や生活歴などによって症状は様々です(もちろん豹変してしまう人もいます)。
この周辺症状について
「正しい介護をしていれば出現しない(若しくは軽減する)」
「優しい対応をしていれば出現しない(若しくは軽減する)」
という神話が独り歩きしてしまっています。
確かに認知症の初期段階であったり、軽度の場合はそういうことも有効な場合がありますし、基本的に介護職員は日々「正しいケアをしよう」「優しく対応しよう」ということを心掛けています。
中にはそうではない資質の低い介護職員もいるのかもしれませんが、普通に考えて「利用者の周辺症状が出現しないということは介護者としても負担が軽くなり喜ばしいこと」なのですから、日々可能な限り最善を尽くしています。
それでも、入所者の精神状態が豹変するスイッチが急に入ってしまったり、いくら対応を模索しても困難な状態に陥ることが多々あるのが介護現場になります。
仮に、本当に正しい介護で周辺症状が改善するのであれば、何故、今でも全国の介護施設で利用者の周辺症状が発生し続けているのでしょうか。
正しい医学的治療で改善する認知症は「脳血管性認知症」「正常圧水頭症」「慢性硬膜下血種」「甲状腺機能低下症」だけです。
他の認知症は進行性の脳の病気であり、医学的治療でも治癒することは不可能で、現状で「進行を遅らせる」ことしかできません。
内服薬の調整や介護の対応によって、一時的に周辺症状が出ない瞬間があったとしても、ゆっくりであっても進行しているのですから、いつどの瞬間に周辺症状が出現するかは誰にもわからず本人さえもわかりません。
むしろ、周辺症状が出る可能性の方が高いのです。
その「周辺症状が収まった一時期」だけを切り取って「正しいケアをすれば周辺症状を抑えることができる」というミスリードが行われているのです。
正しい介護や優しい対応をしていても暴言や暴力や犯罪行為を受けてしまう可能性は十分にあり得ます。
このことが信じられない人は、実際に介護現場で働いてみて下さい。
最後に
認知症の周辺症状に「暴言や暴力」がある以上、犯罪行為と隣り合わせになる可能性が高いのが介護現場になります。
そんなリスクがあるのに、「本当にそんな利用者がいた時にどういう対応をするのか」ということをハッキリと決めていない事業所や業界にも問題があると思います。
ハッキリ決められていない以上、法律に則って「警察に通報する」という選択肢は正しい判断になります。
現状でも
「暴言や暴力さえも受け入れるのが介護現場だ」
「正しい対応をしていれば暴言や暴力は起こらない」
「暴言や暴力を受け入れられないなら辞めればいい」
という判断をしている人がいるのも事実です。
我々介護職員は、警察のように特別な権限や身を守る武器を持っているわけではないですし、精神病院のようにすぐに薬や拘束衣や鉄格子で対応できるわけでもありません。
特別な手当がつくどころか薄給ですし、夜間は職員一人で対応する必要も出てきます。
「介護職員の安全と人権の保障がされていない(片手落ち)」
「介護現場では犯罪行為の対応はできない(治外法権ではない)」
「認知症者も職員も等しく法の下に平等である」
ということが理解できれば
「認知症者の介護現場での犯罪行為を正当化する理由も必要もない」
ということになります。
逆に言えば「介護職員の安全と人権が保障された上で、特別な手当と権限が与えられた状態ならば受け入れることも可能となってくる」ということを付け加えておきたいと思います。