介護施設での終末期の看取り介護「不安を感じる介護職員が多い?」

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「看取り」を行っている介護施設も増えてきたので、介護職員として働いていると「看取り介護」を経験する機会も増えてきました。

人の生死に関わることですし、人生の終焉を目の当たりにすることで、看取りケアに対して不安や恐怖を感じている介護職員も少なくないのではないでしょうか。

今回は、介護施設で行われている「看取りケア」についての解説と、不安に思っている介護職員に対して、私なりにメッセージを贈ろうと思います。

「安楽死」と「尊厳死」の違い

まず、区別をしておきたいのが「安楽死」と「尊厳死(自然死)」の違いです。

安楽死

回復の見込みがなく、苦痛の激しい末期の傷病者に対して、本人の意思に基づき、薬物を投与するなどして人為的に死を迎えさせること。
日本では法的には認められていない。横浜地方裁判所の東海大学安楽死事件(1991年)に対する判決(1995年)においては、

(1)患者に耐えがたい激しい肉体的苦痛があること

(2)患者は死が避けられず、その死期が迫っていること

(3)患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、代替手段がないこと

(4)患者自身による、安楽死を望む意思表示があること

の4要件を満たせば、安楽死が認められる(違法ではない)とされたが、これまで認められた例はない。
積極的安楽死とも呼ばれる。

尊厳死 回復の見込みがない傷病者に対して、本人のリヴィング・ウィル(生前の意思)に基づき、人工呼吸器や点滴などの生命維持装置を外し、人工的な延命措置を中止して、寿命が尽きたときに自然な死を迎えさせること。
植物状態におちいるなどしたとき、人工的な延命措置によって生命を維持し続けることは、人間としての尊厳を保っていないと本人が考えた場合、人工的な延命措置を行わずに自然な死を選ぶ権利があるとする考え方にもとづく。QOL(生命の質)を重視する流れから、この権利が求められるようになった。
消極的安楽死とも呼ばれる。

【引用元】進研ゼミ 高校講座

https://kou.benesse.co.jp/nigate/social/a13n0510.html

つまり、

  • 「安楽死」とは生命が燃え尽きる前に命の炎を消すこと(積極的安楽死)
  • 「尊厳死」とは生命が燃え尽きる時に延命措置をせずに命の炎が消えるのを迎えること(消極的安楽死)

ということになります。

介護施設で行われている看取りケアは、 後者の「尊厳死(自然死)」になります。

但し、尊厳死も「消極的安楽死」と言われているので、混同しやすいのも無理はありません。

「目的」と「終焉の迎え方」が違うので区別をしておく必要があります。

介護施設では「リヴィング・ウィル」が難しい

リヴィング・ウィルとは、生前の意思確認のことです。

つまり、生きている間に本人が、「その時」が来たらどうしたいかを、意思として表明し確認しておくのです。

介護施設での意思決定は誰がするのか

介護施設に入所中の利用者は、重度の認知症があったり、意思疎通が取れない利用者が多いため、生前の意思確認が出来ていない場合が多いです。

そういう利用者に死期が迫った場合、「延命するのか自然死を迎えるのか」という決定は「家族」がすることになります。

しかし、家族も「自分の親や身内の生命の判断を一人で決定する」ということは大変な精神的負担と重圧になります。

ですから、他の兄弟や身内とよくよく相談をした上で決定する必要があります。

介護施設では意思決定はいつするのか

「延命治療をするのか看取っていくのか」を家族間で協議する上で問題となってくるのが、「家族や身内間で意見が割れて一向に決まらない」ということです。

しかし、そうこうしている間に、利用者本人は日に日に衰えていくので「延命をする機会を失ってしまう」という悔いの残る形になってしまう可能性があります。

そうならないためにも、「その時」が来た時にどういう選択をするのか、ということを「利用者本人が元気なうちに家族や身内で話し合っておくことが望ましい」と言えます。

また、認知症が無ければ、本人と事前に意思確認(リビング・ウィル)をすることも可能になります。

施設側からのアプローチの重要性と問題点

「本人が元気なうちに話し合っておく」ということを、施設側からも前もってアプローチしておく必要があるのですが、まだまだ世間一般に「看取り介護」「生前の意思確認」について

  • 情報が少ない
  • 受け入れがたい現実
  • 触れてはいけないタブー

というような風潮があるので理解を得られないこともあります。

「うちの親はまだ元気なのに、この施設はもう最期の話をしてくる」

「早々に最期の話をしてきて失礼だ!不愉快だ!」

という反応をされる家族も中にはいます。

「終活」という言葉も大分世間に周知されてきましたが、誤解を招かないように、 細心の注意を払い、理解を得られるよう段階を踏んだアプローチ方法が必要になってきます。

「延命」と「看取り」のどちらが良いのか

延命が良いのか看取って欲しいのか、どちらが最善で最良なのか、ということは結局は本人にしかわかりません。

しかし、リヴィング・ウィルが出来ない以上、最終的に決めるのは「家族」です。

医師だろうが看護師だろうが介護士だろうがケアマネだろうが決めることは出来ません。

「家族が悔いの残らないような選択こそが最善」なのです。

介護施設には看取ると加算がつく

本人の意思決定ができない場合は家族が意思決定をするわけですが、介護保険には「看取り加算」というものがあります。

看取り介護を実施すると介護施設には加算がつくのです。

国がそう決めているということは、施設もそれに従いますし加算も欲しいでしょう。

その時点で、国も施設も「看取り(自然死)推進派」なのです。

看取り推進派の施設が、

「延命という選択肢もあります」

「家族の悔いの残らない選択をして下さい」

と言っている時点で違和感を覚えます。

人間の生命を扱っている以上、「推進するものと、選択の決定は別物」ということになるかと思います。

親が望むものと自分が望むものは違うのか

誰でも親は特別な存在です。

血の繋がった唯一無二の存在です。

ですから、出来るだけ「長生き」して欲しいと願うのは当然です。

老衰で死期が間近になった親を見たら「延命して欲しい」と望む心境もわかります。

現在の医学では、胃瘻(いろう)や点滴などである程度延命は可能です。

現代医学を駆使すれば「不老不死」さえ可能ではないか、と言われていますが、実際には内臓機能も衰えているので、管で栄養を投下するだけでは分解や消化の処理が不完全となり、体が浮腫んでいき、最期を迎える時は来ます。

胃瘻を造設しても、唾液や痰は出ますので、自分の唾液や痰で誤嚥して肺炎になったり、様々なリスクは捨て切れません。

もし、自分が最期を迎える時に

「自然な最期を迎えたいですか?」

「延命で長生きしたいですか?」

という質問をすると、大体の人が

「自然な最期を迎えたい」

と答えます(私もそう答えます)。

体中に管を通されて「ただ生かされているだけの自分」を想像すると「ああはなりたくない」と思ってしまう人が多いのではないでしょうか。

「親が望むものと自分や世間の多くの人が望むものとは別なのか」ということも判断基準のひとつとして検討していく必要があります。

看取り介護とは

近い将来天寿を全うされるであろう人に対して、身体的・精神的負担を緩和させ、本人の意思を尊重しつつ最期まで安らかに過ごせるような援助を行う、それが看取り介護です。

ただし施設では看取り介護をあくまで特殊な介護とは考えず、日常的な介護の延長線上のものと判断しています。本人が穏やかな終焉を迎えられるために様々な尽力をする、それが施設側の努めなのです。

【引用元】シニアのあんしん相談室

https://www.senior-anshin.com/news/kaigo/20160812/

介護職員は、看取り介護をするに当たって「本人らしく」「心穏やかに」最期を迎えられるようなケアをしなければなりません。

また、お亡くなりになったあとに、残された家族のつらさや悲しみなどのケア(グリーフケア)も行っていく必要があります。

最終的には「利用者の死」と直面することになるために、不安に思う職員も少なくありません。

何故、不安なのか

看取り介護は介護施設では「特殊な介護ではなく日常の延長線上にある介護」です。

何も不安になる必要はないはずですが、不安になる理由としては

  1. 人の死に直面するのが怖い
  2. 死後の遺体そのものが怖い
  3. 命が消えていく過程に直面するのが怖い
  4. 満足のいく看取りケアサービスが提供できるのか不安

ということになるかと思います。

不安の理由の原因

その殆どの不安の理由の原因は「経験不足や知識不足」から来るものです。

まずは事業所内で「看取り介護」の研修をしたり、マニュアルを作成して周知していき、知識をインプットしていく必要があります。

例えば、死期が近い人の呼吸は

  • 努力呼吸
  • 下顎呼吸
  • チェーンストークス呼吸

があり、それぞれに特徴があります。

また、「エンゼルケア」についても学習しておく必要があります。

そして、実際に看取り介護をすることで、知識をアウトプットして経験を積んでいきます。

知識と経験を積むことで、ある程度は不安が軽減していきます。

看取り介護が初めての場合、知らないことだらけなので不安に感じるのは仕方のないことなのです。

慣れても不安は感じる

何十回と看取り介護を経験しても、実際問題「不安」を感じます。

私だってまだまだ未熟者ではありますが、幾度となく看取り介護を経験してきました。

しかし、それでも今もなお、毎回不安を感じます。

知識や業務手順にいくら慣れても「その人らしい最期を迎えるためのケア」は慣れることができないからです。

十人十色の生きざまがあるのですから、全て同じというわけにはいきません。

その人らしい人生を陰ながら支援して、「その生きざまが死にざまに帰結」するのです。

ですから、いつも

「あれで良かったのだろうか」

「満足して旅立ってくれただろうか」

ということは考えてしまいますし、不安に感じる部分でもあります。

ごくたまに、看取り介護に対して自信満々の職員がいますが、「もの凄い自信家」だと思います。

もっと言えば「人様の人生の生きざまと死にざまはそんなに簡単なものじゃないぞ」と言いたくなります。

そう考えれば、看取り介護に対して「不安に思う」ことはごく自然なことなのです。

大切なのは、不安に思うことではなく、「不安な姿を利用者本人やその家族に見せないこと」の方ではないでしょうか。

そのためにも、知識や経験が必要なのです。

最後に

今回は「介護施設における看取り介護と不安に思う介護職員に私なりの考え」をご紹介しました。

まずは、看取り介護に対する知識と経験を積む必要があります。

多くの施設では内部研修を行っているかとは思いますが、それさえも無い場合は不安に感じて当然です。

研修もマニュアルもなければ、いつも行き当たりばったりの看取りケアになってしまいます。

看取りケアの研修は看護師が中心となって行うことが多いと思いますので、上司や看護師長などに上申してみるのもありかと思います。

看取り介護は、いくら経験を積んでも対象者が変わるたびに不安になるものです。

「業務を見つめるのではなく人を見つめる」ことで、ブレずにその人らしい生きざまの支援が可能になります。

但し、支援者として必要以上に思い入れを持ったり感情を入れ過ぎてしまわないように注意が必要です。

我々介護職員は、あくまで「支援者」なのです。

看取り介護は、人間(利用者)が命の終焉を迎える際の支援やケアになるため、どうしても「特別感」を感じがちです。 ですから、「特殊...

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