介護の都市伝説とも言える「特養の七不思議シリーズ」を書いてきましたが、今回が7番目となり最終回になります。
特養の七不思議の7番目は「親には延命、自分は平穏死」についてです。
【特養の七不思議】
①食べられないのに食べなさい
②終わりが来ているのに病院へ
③望まないのに胃瘻
④胃瘻をつけて注入量は変えない
⑤先がないのに検診
⑥先がないのに薬たくさん
⑦親には延命、自分は平穏死(石飛幸三医師)
— 介護職員A@介護福祉士ブロガー (@kaigosyokuinA) May 12, 2019
親には延命、自分は平穏死
誰しも自分の肉親である親には長生きして欲しいと思い願うのは当然のことです(毒親問題もありますが、それはまた別の問題として)。
ですから、日本は医療の発展とともに親の延命を希望する人が増え「胃瘻大国」とまで言われるようになりました。
しかし、「自分が高齢になり親と同じ状況になった時にどうして欲しいのか」という質問に、多くの人が「自分は自然がいい」「胃瘻をしてまで生き延びたくはない」「管に繋がれて生きるより平穏に最期を迎えたい」と答えることでしょう。
そこに「自分がしたくないことを親にはさせている(希望している)」という大きな矛盾が明らかとなります。
その矛盾を言い例えたのが「親には延命、自分は平穏死」ということになります。
延命を選択する背景
延命を選択する心理としては「親には長生きして欲しい」という最大の理由があります。
しかし、その背景として
- 医師に勧められるがままに
- 延命という選択肢があるから
- 親の年金をアテにしているから
というものもあるかと思われます。
頭では「延命をすることで逆に親を苦しめてしまうかもしれない」とわかってはいるものの、様々な理由や背景があり延命治療を選択してしまっている場合があります。
この延命が日本に長寿(健康寿命ではないただの長生き)を生み出してきたわけですが、同時に「寝たきり」や「誤嚥性肺炎」なども増えてしまう結果になりました。
様々な理由や背景があるにしても「自然の摂理に逆らっている」という事実から目を背けてはいけないのではないでしょうか。
適切な情報提供ができる体制の確保
平穏な最期を迎えることに対する考え方が徐々に浸透してきているようで、胃瘻をつけた寝たきりの人も減少傾向にあるようです。
「胃瘻や延命は一切合切ダメ」という一方通行の決めつけをするのではなく、選択肢がある以上、慎重で適切な判断をしていくことが重要です。
そのためには、適切な情報が必要なわけですから、介護施設や医療現場においても生前の意思確認(リビングウィル)も含め適切な情報提供ができるような準備と体制が必要です。
自分らしさを尊重する
「自分だったら延命されたくない」と思うのは、自分の主張であり自分らしさの発信になります。
そして、その自分らしさを尊重して欲しいと思うのは当然です。
それはきっと親も同じように思うことでしょう。
その人らしさを尊重するために必要なことは、全ての人が「老い」と「死」を受け入れることではないでしょうか。
最後に
今回は、特養の七不思議の7番目「親には延命、自分は平穏死」について記事を書きました。
特養などに入所していたり終末期に直面している親は既に意思表示ができなかったり意思疎通が図れなかったりすることが多いため、家族が代行して判断をする必要があります。
その際に、「自分がされたくないことは親もされたくないのではないか」と思いを巡らすことも「愛情」であると言えます。
また、介護施設や特養では「看取り介護」をしている事業所も増えてきたので、適切な情報提供をしていくことが重要です。
人間は「生老病死」は避けては通れないのです。
尚、「特養の七不思議」「平穏死」を最初に提唱したのは、世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医の石飛幸三医師です。
数々の著書がありますので最後にご紹介しておきます。
「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか (講談社文庫) [ 石飛 幸三 ] |
「平穏死」を受け入れるレッスン 自分はしてほしくないのに、なぜ親に延命治療をするのですか? [ 石飛 幸三 ] |
他の七不思議については下記記事をご参照下さい。