多様性を認め個性を尊重する社会ですから、価値観や思想は「人それぞれ」です。
色々な人がいて色々な意見や考え方があるのですから、違って当然です。
ですから、「人それぞれ」という論調を真っ向から否定する気はありませんし、場合や状況によっては私も使うことがあります。
しかし、介護現場において介護を提供する際は、この「人それぞれ論」を持ち込んではいけない場合が多々あるため、私もできるだけ介護現場では「人それぞれ」と思ったり言ったりしないようにしています。
もちろん細かいことを言えば、「利用者の居室に入る際に右足から入るのか左足から入るのか」ということは「人それぞれ」です。
しかし、介護現場全体を見た場合には、「人それぞれ論は持ち込まない方がいい」と思っています。
今回は、介護現場に「人それぞれ論」を持ち込んではいけない3つの理由について記事を書きたいと思います。
介護現場に「人それぞれ論」を持ち込んではいけない3つの理由
それでは早速、介護現場に「人それぞれ論」を持ち込んではいけない3つの理由についてご紹介していきたいと思います。
理由①:元も子もない
「人それぞれ」という言葉は、会話や議論の際に持ち出されると元も子もありません。
「それを言っちゃ~おしまいよ」の世界です。
「誰の意見も否定せずに、お互いがお互いを認め合って平和的に対話を終えましょう」ということになるのですが、介護現場では介護サービスの方向性やある程度の基準を決めておかないと、職員個々の価値観の違いによって統一した介護ができなくなってしまいます。
統一した介護については後述しますが、介護現場で「人それぞれ論」を持ち出すと元も子もなくなってしまうため、持ち込んではいけないのです。
理由②:統一した介護ができない
介護現場はチームで動いているために、統一した介護を提供しなければなりません。
そのために利用者のニーズに沿ったケアプランがあるのですから、職員個々の価値観や思想で全く異なる介護を提供することは不適切です。
また、同じケアプランの内容でも職員個々で捉え方や解釈が異なっていると全く違った介護になってしまう可能性があります。
ですから、介護現場では「人それぞれ論」を排除して、介護サービスの方向性や詳細を職員間で情報共有し、すり合わせをしておくことが大切です。
よく「介護に正解はない」ということを言われますが、それは「人それぞれの解釈で行う介護が正解(又は不正解)」ということではなく、正解(又は不正解)の基準も判断材料もないから「答えが不鮮明」ということではないかと思っています。
ですから、そこを履き違えて介護現場に「人それぞれ論」を持ち込むと余計にこじれてしまうため、統一した介護で可能な限り可視化しておくことが大切なのではないでしょうか。
介護に正解は無いということの危険性については、下記記事をご参照下さい。
理由③:風紀が乱れる
介護現場で「人それぞれ論」が飛び交うと職場内の風紀も乱れます。
各々が好き勝手な介護をしたり、自分の考えた最強の介護をスタンドプレイで行ってしまうと、方向性もまとまりもないカオスな介護現場になってしまうからです。
また、そのスタンドプレイが同調圧力で伝染していき、風紀の乱れに拍車が掛かることも往々にしてあり得ます。
会議で決めたことをいともたやすく覆されたり(翻されたり)、決まったことを誰も守ろうとしなければ、そもそも会議をする意味さえなくなってしまいます。
介護現場も職場である以上、一定の決まり事は必要です。
介護現場に「人それぞれ論」を持ち込み、全員の個性や価値観を野放しにしてしまうと、自由という名の無秩序な状態となってしまいます。
それでは正常な介護サービスが提供できないため、人それぞれ論を介護現場に持ち込んではいけないのです。
最後に
今回は、介護現場に「人それぞれ論」を持ち込んではいけない3つの理由について記事を書きました。
「人それぞれ」「多様性を認め合う」という論調は、一見平和的で大変便利な言葉ですが、多用すれば「元も子もない斬り捨て感の強い言葉」ともなり、介護現場に持ち込めば「統一した介護ができず風紀が乱れてしまう言葉」でもあります。
個性や個人の価値観を尊重するのは正論ではあるにしても、「人それぞれ論」を多用する人や意図して介護現場に持ち込む人には注意が必要です。
コメント
介護に限らず、仕事で自分勝手にやるのは許されないですよね。
でも「自分にとっていいようにする」ってことと、「利用者に対して個別の対応をする」のをごっちゃにして、「介護に正解はない」とか言い出して、「その人にはこうした方がいいから~」とか叫んでる人がいるけど、「それ、あんたが楽したいだけでしょ?」みたいなね。
そうそう、昨日、職場で荷物の整理をしてて梯子から落ちて手首複雑骨折して3か月休んだアラカン常勤が、ヘルペスの利用者を機械浴で入浴させた後、機械浴の椅子や浴槽を洗わないまま次の利用者に使おうとしたんですよ。
なので私が「洗わないとダメでしょ」と注意したら、アラカン常勤が「入浴スタッフ二人しかいないし洗ってる暇はないし管理者から言われてない」とかほざいたので、「それは手抜きでしょ?必要な手順はぬかしちゃだめでしょ?」と注意したのですが。
やっぱりカスタッフしかいないようです。
>デイちゃんさん
こんばんは~
コメントありがとうございます^^
そういうごっちゃにしてしまっている人もいますよね><
衛生管理は手を抜いたらダメですね。
いくら他の人達が頑張っても、1人残念な人がいるだけで総崩れしますからね。
ましてや、このたびのコロナショックでも感染予防や感染拡大防止は散々言われてきたことなのに、現場最前線の介護職員の意識がそれでは困ってしまいますね。
でも入浴スタッフ減らされたけど、利用者も減ってるし、別に普通に入浴は終わるんですよ。
そのアラカン常勤は仕事できなくて、利用者をバカみたいに大勢誘導してきて、見れなくて放置するから事故が起こりまくり。
歩行不安定な人が1人で歩いてて、転倒事故がよく起こってる。
認知症利用者が他の利用者の服を着たりしてやり直しになったりとか、無駄がすごく多い。
バタバタあわてて、余計な仕事を増やして、時間が間に合わないって感じ。
スタッフがいないんだから、少人数ずつ時間差で入れて行けばいいのに、それが分からないみたい。
かと思ったら、「人がいないからしょうがない」「管理者は洗えって言ってない」だって。それはサボりスタッフの開き直りでしょ?
なので管理者にメールしてみました。
「今日ヘルペスの〇〇さんが入浴した後、浴槽と椅子を洗わないスタッフがいたので洗えと注意したら、人がいないからできないし、管理者には言われてないから洗わないと言われたのですが、それは大丈夫なんですね?私はこれまで感染者が出てはいけないと毎回浴槽や椅子など洗って除菌してたんですけど、私もしないでいいんですね?しない方が楽なので私としてはそっちの方がいいですが。」
まあ私は別に、どうでもいいんですけどね。
>デイちゃんさん
返信ありがとうございます^^
なるほど、無駄や余計な仕事を自分で増やしていたら本末転倒ですね。
入浴後の洗浄は感染予防として当然のことなのに、「人がいないから」「管理者に言われていないから」というのは開き直りでしかないですね><
今回のテーマはswにとっては耳が痛いお話ですね。何分にも「多様性の尊重」とはswにとっては大原則のひとつでもありますので。
ただ、介護の基準を定めておくことは大切だと思います。リーダーシップを発揮できないリーダーが存在する現場では、往々にして勤続年数が長く我の強いオバヘルの暴走がよく見られ、それが本文にもあります同調圧力となってしまいますので。
信じ難い話かもしれませんが、病院でも看護助手であるオバヘルたちが固まってしまい、看護助手だけで勝手な決まり事を作り看護師さんの指示よりもそちらを優先する、と言った医療現場ではあるまじき事が起こると言う事例を実際に目にしています。
考え方やルーティンワークの進め方に対して、確かに「人それぞれ」な捉え方はありますし、視点を変えて介護に取り組むことも援助技術としては必要です。
ただ、そこには基準、もしくは大原則がきちんと存在していなければ、確かに現場は無法地帯と化してしまうでしょう。
まとめ役が、正しいリーダーシップを発揮して仲間の得手不得手をよくよく見極め、基準を踏まえた上での「人それぞれ」を理解して業務を進める事が大切だと思います。
>失業中のswさん
こんばんは~
コメントありがとうございます^^
ガチガチの基準でなくとも、ある程度の基準は必要ですね。
その上で初めて考えていかないと無法地帯になってしまう(若しくは既になっている)でしょうね。