介護現場だけに限りませんが、対人援助を生業とする以上「自己覚知(じこかくち)」を常に意識しておく必要があると感じています。
今回は「他人や利用者を知る前に自分を知るという自己覚知」について記事を書きたいと思います。
自分が何者であるのか「自分を知る」
「自己覚知」とは他人を援助する前にまず「自分は何者であるのか?」「どういう価値観を持っている人間であるのか?」ということを自分自身で知っておくことになります。
私が「自分が何者であるのか?」と問われれば
「ひとりの人間」
「介護職員」
などという答えを出すでしょう。
それはそうだとして、もっとつっこんで
「どういう価値観を持っているのか」
「どういう性格なのか」
「どういう感情や意見を持ちやすいのか」
などということを自己分析していきます。
例えば、私だって苦手な上司や同僚もいれば利用者もいます。
ひと昔前なら、「上司の命令は絶対」「利用者に苦手意識を持つのは非常識、介護に向いていない」などと言われてきました。
しかし、我々介護職員だって「人間」なのです。
そういった感情を持つことは「ごく自然」であり「当たり前」のことなのです。
そういう感情に蓋をして自分を抑え込むのではなく、まずは自分の現状や価値観を抽出し、理解していくことが「自分を見つめ、自分が何者であるのかを知る」という作業になります。
大前提として人間である以上、そういった感情や多様な価値観があるのは当然で、その上で
「何故、苦手なのか」
「どうすれば苦手意識を払拭(又は軽減)できるのか」
「今後、どういう選択肢があって、どういう対応をしていけば良いのか」
ということを客観的に考え、答えを出し、実践していくのが「自己覚知」ということになります。
適切な介護を提供できるようにする
多様な価値観を認めていくことは必要ですが、介護現場において職員個々の価値観で業務を行うと「統一した介護」が実践できません。
職員間の何気ない会話や、職員会議やユニット会議などで意見や価値観を擦り合わせて、全スタッフが統一した介護を提供できるようにしておく必要があります。
そうすることで、共通認識を持った適切な介護が提供できるのです。
公けには言いにくいこと
自己分析をした結果、当たり障りのない「価値観」ならば良いですが、中には「自分の中の闇の部分」を発見してしまうこともあり得ます。
「あの上司の考え方がどうしても気に食わない」
「あの利用者を生理的に受け付けない」
などになります。
何気ない会話や会議の場では公けに言いにくい内容になります。
そのことを公けに言うか言わないかは個人の判断になりますが、言いにくい内容であるのは確かです。
ここで、もっと自分を深く客観的に分析していきます。
「嫌いな人の事を考えるのは不毛でナンセンスで無駄な時間だ」と言う人もいますが、あくまでこれは「自己分析」であり「自分のことを考えるためのもの」なのです。
「何故、気に食わないのか」
「何故、生理的に受け付けないのか」
という分析から更に
「許せる部分はあるのか」
「問題ないと感じる部分はあるのか」
ということまで考えます。
その結果、自分の立ち振る舞いや対応や身の振り方を検討していくことで「自分のため」「利用者のため」になります。
「全くもって許容できるものがない」という場合は退職するのもひとつの手段でしょう。
「自分を知る」ということは、公けには言えないような「自分でも気づかなかった闇の部分に迫る」ということでもあるのです。
最後に
「自分が何者なのかを知る」「自分を客観的に分析する」「分析結果を自分の業務や人生に反映させていく」という作業が「自己覚知」ということになります。
自己覚知によって、自分のキャパシティや価値観や感情の揺れ幅やポイントを自覚することで、最終的に目指すのは「自分の能力を最大限に発揮すること」になります。
自己覚知とは、その準備段階になるのです。
介護現場や対人援助の仕事以外においても「自分と向き合い自分の能力を最大限に引き出せる状態にしておく」ことはとても重要なのです。
介護現場においては「寄り添う」「傾聴」「状態の把握」という被援助者を知ることを第一に考えられがちですが、まずは「他人や利用者を知る前に自分を知っておく」ということがもっと大切なのです。