今回は、介護の都市伝説とも言える「特養の七不思議」について記事を書きたいと思います。
「特養の七不思議」は石飛幸三医師がシンポジウムで使った資料から引用したもので、特養に限らず他の介護施設や事業所でもあり得るようなものではないでしょうか。
では早速、特養の七不思議のひとつ「食べられないのに食べなさい」について考察していきたいと思います。
【特養の七不思議】
①食べられないのに食べなさい
②終わりが来ているのに病院へ
③望まないのに胃瘻
④胃瘻をつけて注入量は変えない
⑤先がないのに検診
⑥先がないのに薬たくさん
⑦親には延命、自分は平穏死(石飛幸三医師)
— 介護職員A@介護福祉士ブロガー (@kaigosyokuinA) May 12, 2019
摂取機能の低下
高齢者に限らず誰であっても、口から食物を摂り、栄養バランスの取れた食生活を送りたいものです。
しかし、高齢になると「開口」「咀嚼」「嚥下」機能の状態が低下してきます。
その理由は、筋力の低下であったり入れ歯や歯茎の状態であったり、舌の動きや唾液の分泌量や弁の働きをする喉頭蓋の機能障害など原因は様々です。
しかし、普通に生活していても、100年近く生きていれば体の機能は少なからず低下していくのは必然です。
咀嚼や嚥下機能に合わせた食事形態
摂取機能が低下していくのは必然なわけですから、高齢者施設には様々な「食事形態」が準備されています。
「普通食」→「刻み食」→「粗刻み食」→「超刻み食」→「ミキサー食」
(右に行くほど細かく刻まれます。ミキサー食はミキサーにかけた後、ペースト状にされたものになります)
介護施設では、できるだけ食べやすいよう、利用者個々の状態に合わせて食事形態を変えています。
そこには
「できるだけ食べやすくして、口から摂取してもらおう」
「喉詰めや誤嚥を防止できるような食事を提供しよう」
「栄養バランスの取れた食事を完食してもらえるように支援しよう」
という目的があります。
「完食してもらうことが本人にとっても介護職員にとっても最上」という美学
管理栄養士を始め、ケアマネや看護師や介護職員や家族も含め、本人にとって最適の食事形態を検討し提供しているわけですから、栄養バランスや口から摂取する喜びやありがたみを考えると「全量摂取(完食)してもらうことが何より素晴らしいこと」という誤解が発生します。
もちろん、完食してもらうことで栄養が摂れます。
「食欲がある」=「まだまだ元気で健康」
ということのアピールにも繋がります。
食事摂取量だけを見れば「全量摂取」が続けば「まだまだ食欲もあるし元気な証拠だな」という判断もできます。
しかし、介護施設(特養)の実情は、利用者が
「もういらない」
「食べたくない」
「食欲がない」
「もうお腹いっぱい」
と言っても「全量摂取を目指すことに意義を見出している」という現実があります。
何故なら、「全量摂取することが利用者にとって最善であり、そういう状況を作り出すことが介護職員にとっても最善である」という魔訶不思議な美学が常習化しているからです。
完食させるための対応
「もう食べたくない」と言っている利用者に介護施設ではどうやって完食を促すのでしょうか。
①何度も声掛けをして完食を促す
「あと少しで全部食べれますよ」
「もうちょっと食べましょう」
「食べることが〇〇さんの仕事ですよ」
などと言って完食を促します。
そう何度も言われれば、無理してでも食べる利用者もいます。
②時間を置いて完食を促す
「今すぐ食べられなかったら、もう少し食事を置いておくのでゆっくり食べて下さい」
などと言って完食を促します。
いつまでも自分の目の前だけに食事が置いてあれば、食べなければならない気になり食べる利用者もいます。
しかし、実際は時間を掛けると「満腹中枢」が働くので、余計に食べれなくなることが多いです。
③介助を行って完食を促す
自力での食事摂取が止まっていて、どう声掛けしても摂取が進まない場合は介助をすることもあります。
介助をすれば口を開けて食べてくれる利用者もいれば、口を開けずに頑なに拒否する利用者もいます。
食べたくなければ食べなくてもいい
利用者が「食べたくない」と言っているのなら、食べなくてもいいと思います。
そこに「栄養バランス」だとか「完食の美学」は不要です。
何か理由があって、食事が進まないのですから、無理に摂取を促す必要はないと思います。
もちろん根本的な「老衰」という原因があるのかもしれませんし、別の「病気」が隠されているのかもしれません。
それはそのまま「利用者の状態」として受け取って、記録していけばいいと思います。
お腹が空けば、また食べてくれるかもしれません。
人間なのですから、そういうことだってあります。
極論ですが、もしそれで低栄養でその利用者がどうにかなってしまったとしても、介護職員の責任ではありません。
※しっかりと記録を残し、多職種と連携したり家族へ報告して、今後の対応を検討していくことが重要です。
口からの食事摂取を継続していけることは素晴らしいことですが、「それが困難になった時点で終わりが近づいている」と考える方がとても自然です。
経口摂取の新たなリスク
ケア方法で完食を促して栄養摂取ができたとしても「喉詰め」や「誤嚥性肺炎」などの新たなリスクが発生します。
「経口摂取のリスク」と書きましたが、誤嚥性肺炎は胃瘻(いろう)の人でもなります。
胃瘻であっても、自分の唾液を飲み込むだけで誤嚥性肺炎になるリスクがあるのです。
欧米には寝たきり老人や誤嚥性肺炎になる人が少ないと言います。
その理由は、寝たきりになる前に「平穏死」を迎えるからのようです。
また、誤嚥性肺炎に関する論文のほとんどは日本の研究者が書いているようです。
日本では、高齢で飲み込む力が衰えた人は、口内の細菌や食べ物が肺に入って起きる『誤嚥性肺炎』を繰り返して亡くなることが多いです。誤嚥性肺炎の論文もほとんど日本人の研究者が書いているのです。
【引用元】YOMIURI ONLINE 「宮本顕二・礼子夫妻(1)寝たきり老人がいない欧米、日本とどこが違うのか」より
つまり、「日本の介護は延命や食事の完食を目指すことで、欧米にはあまりみられない誤嚥性肺炎などの新たな病気を誘発させている」ということになります。
最後に
今回は、特養の七不思議(1)「食べられないのに食べなさい」という「完食の美学」について記事を書きました。
以前書いた「食事介助の速さの美学」に通じるものがあります。
よく、介護情勢としてデンマークやスウェーデン等の北欧が比較で出されたりしますが、日本と比べて人口や国土面積も違えば税率も全く違うのですから、そっくりそのままマネをするわけにはいかないと思います。
しかし、特養などの介護施設で都市伝説的に流行っている「食べられないのに食べなさい」という風潮は、七不思議のひとつであることは間違いないのではないでしょうか。
食べられなかったり、食べたくなければ、食べなくてもいいのです。
それは「食事摂取においても一種の寿命」だという捉え方をしていく必要があるかと思います。
自分の立場で考えてみても、食べたくないのに無理やり口に入れられるなんてイヤなはずです。