今回は、介護の都市伝説とも言える「特養の七不思議」について記事を書きたいと思います。
他の七不思議については、下記記事をご参照下さい。
特養の七不思議3つ目は「望まないのに胃瘻(いろう)」について記事を書きたいと思います。
【特養の七不思議】
①食べられないのに食べなさい
②終わりが来ているのに病院へ
③望まないのに胃瘻
④胃瘻をつけて注入量は変えない
⑤先がないのに検診
⑥先がないのに薬たくさん
⑦親には延命、自分は平穏死(石飛幸三医師)
— 介護職員A@介護福祉士ブロガー (@kaigosyokuinA) May 12, 2019
胃瘻(いろう)とは
胃瘻は「PEG(ペグ)」とも言います。
口から食事がとれない人や、食べてもむせ込んでしまったり、誤嚥して肺炎になる可能性が高い人などが「胃に直接取り付けられたカテーテルから栄養を入れる経管栄養のひとつ」になります。
特徴
鼻からの経管栄養に比べて本人や介護する人の負担が少ないと言われています。
但し、胃瘻造設のためには、内視鏡を使って腹壁と胃壁に穴を開けてカテーテルを留置する必要があります。
取り外すことも可能ですし、傷口は殆ど目立たなくなると言われていますが、「自分が老衰で口から食べられなくなったらやりたいか?」と聞かれれば「いや~ちょっと…」と思ってしまうのも事実です。
種類
胃瘻は抜けてしまわないように腹壁と胃壁を固定されています。
その種類は4種類あり、以下の図がとてもわかりやすいのでご紹介しておきます。
【出典】NPO法人PDN
どの種類の胃瘻が適しているのかは、本人の状態に合わせて決める必要があります。
望まないのに胃瘻
胃瘻によって、長期の栄養管理が可能になりましたし、口から食べれない人の命を繋ぐ選択肢のひとつとして、必ずしも否定的に捉える必要はないかと思います。
一時的に口から食べれなくなった場合や、機能回復やリハビリのために胃瘻を造設することは効果的です。
本人の意思ではない
介護施設の場合、認知症などによって本人の意思が不明であるのに「家族の意思」によって胃瘻が造設されることがあります。
また、「介護施設の都合」もあります。
誤嚥するリスクの高い利用者への食事介助は時間も掛かりますし、とても難しくなります。
どんなに慎重に介助していても誤嚥してしまったり肺炎になってしまう可能性がありますし、事件として取り扱われて最悪の場合「犯罪者」になってしまうリスクさえあります。
また、誤嚥によって入退院を繰り返していると、何のための施設入所なのかわからなくなってしまいます。
そんな「家族や施設の都合」で胃瘻が造設されるのです。
本人の意思確認ができない以上、致し方のないことになるのですが、もし本人が胃瘻を望んでいないのだとすれば「望まないのに胃瘻をしている」ことになります。
本人にも負担が大きい
明らかに老衰であるのに胃瘻を造設することは、本人にも負担が掛かります。
老衰の場合は「栄養を口から摂れないから胃に直接送り込もう」と単純にはいかず、嚥下機能だけでなく消化機能なども低下しているために、無理やり栄養を送り込んでも消化しきれなかったり体が受け付けなくなっていきます。
つまり「自然の摂理に逆らっている」のです。
胃瘻を造設して介護施設で寝たきり状態
医療の発展により、ある程度の延命が可能な時代になりました。
自分の親や肉親なのですから、誰しも長生きして欲しいと願うのは当然です。
家族や親戚一同で話し合った結果が「延命であり胃瘻」ということであれば、誰も文句は言えません(本人以外は)。
しかし、胃瘻を造設することで幸せな在宅生活を送っているのならまだしも、胃瘻を造設して介護施設で寝たきり状態の利用者はどう感じているのでしょうか。
本人の生き方を尊重する時代へ
延命や胃瘻という選択肢があるからこそ、本人の生き方を真剣に考えていく必要があります(昔は選択肢さえ無かったのです)。
人の命が関わるデリケートな問題であるため、家族の意思や希望に他人が口を出しにくいのですが、介護従事者や医療従事者として「自然に看取る」という選択肢を提案していくことも必要になってきます。
もちろん、最終決定をするのは家族ですし、どちらを選択するにしてもその結果に対して前向きにバックアップしたりフォローをしていくことが専門職としての努めになります。
今後益々「超高齢社会」となり、こういった問題に直面する機会が増えてくることが予想されます。
その時に忘れてはいけないのが「まずは本人の生き方を尊重する」ということと「正しい知識と情報を持ち、正確に伝えること」です。
最後に
今回は特養の七不思議の3つ目「望まないのに胃瘻」について解説しましたが、いかがだったでしょうか。
日本は世界でも上位に位置する「長寿国」である反面、「世界一の胃ろう大国」としても有名です。
今後は平均寿命の延びより「健康寿命の延び」が意識されていく時代です。
最期の晩餐は「自分の好きなものを食べたい」ものです。