長野県安曇野市の特別養護老人ホーム(以下、特養)において当時85歳の女性入居者がおやつのドーナツを食べた後に死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた事件の無罪が本日正式に確定しました。
第1審になる長野地裁松本支部での判決は、「罰金20万円の有罪判決」でしたが、東京高等裁判所(以下、高裁)で「逆転無罪の判決」が出たことは当ブログの過去記事でも触れました(下記記事参照)。
准看護師の過失の有無が争点となりましたが、高裁は過失を認めず1審の判決を破棄して無罪を言い渡しました(逆転無罪)。
あとは「検察側が最高裁判所(以下、最高裁)に上告するかしないか」が気掛かりでした。
何故なら、検察側が「上告すれば裁判継続」「上告しなければ無罪確定」となるからです。
最高裁への上告の期限は本日2020年8月11日となっており、検察側が上告を断念したことで無罪が確定しました。
介護現場で働く身としては、無罪確定にホッと胸を撫でおろしました。
裁判上は「事件」となりましたが、無罪が確定したことにより特養入所者がおやつを喉に詰めて亡くなった今回のケースは「介護事故」ということになります。
当事者となってしまった准看護師は7年近くの長きに渡り本当にお疲れ様でした。
「介護現場の未来がかかっている」とまで言われた裁判でしたので、介護従事者としては関心が高い裁判だったのではないでしょうか。
ただ、今回無罪が勝ち取れたからと言っても、
「直接現状の介護現場の何かが変わるわけではない」
「准看護師だから無罪が勝ち取れたのであって、これが介護職員であった場合はどうなるかわからない一抹の不安」
という声や懸念が残るのも確かです。
確かにケース(事件)ごとに状況も内容も判決も変わってくることでしょう。
しかし、やはり「追い風」を感じるのも事実なので、私なりに今回の無罪判決確定の意義を述べたいと思います。
逆転無罪判決の意義
今回の裁判では懸念も残るものの、大変意義がある無罪判決であったと思っています。
以下で詳しく述べていきます。
懸念は残るものの追い風を感じる
「直接介護現場に関係があるわけではない」「職種が違うので介護職員の場合は有罪になったかもしれない」という懸念が残るため、「どんな状況でも入所者が喉詰めでお亡くなりになっても職員には過失はないのだ」と言い切れぬのは事実です。
過失の有無が争点となっていたわけですから、「喉に詰めたり誤嚥をするかもしれない」というリスクが明らかであり、それを認識した上で食事やおやつを提供した場合は「刑事上の過失が認められる」可能性は十分にあります。
とは言え、今回の裁判は「一歩前進」「今後の判例になる」ということも間違いないのではないでしょうか。
そう考えれば、様々な懸念が残るものの「有罪よりも無罪の方が明らかに追い風を感じる」と言えます。
最後まで諦めなかったことに意義がある
今回の無罪判決確定で、我々の職場が劇的に変わったり今日明日どうこうなるわけではありません。
また、状況や職種によっては過失が認められる可能性も否定はできません。
しかし、本当の意義は「この准看護師が6年半にも及ぶ裁判を戦って最終的に無罪を勝ち取ったこと」ではないでしょうか。
介護事故やミスは無い方が良いのは当然ですが、人間が人間を介護している以上、必ず発生します。
そういった悪意や故意ではない「過失」までもが全て刑事罰や裁判の対象となってしまうような風潮に多少なりともストップが掛かった無罪判決とも解釈できます。
第1審の「罰金20万円の有罪判決」で妥協したり諦めたりせずに、自分の信念と無罪を信じて最後まで諦めずに戦い、その結果「第2審で無罪を勝ち取った」ということは、「自分の自由や権利を不断の努力によって保持した」という点で、「介護従事者及び国民の鑑である」と言っても過言ではありません(日本国憲法第12条)。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
【引用元】日本国憲法
そこには、「果たして自分だったらここまで出来るだろうか」という感情と、「前例を作ってくれたのだから自分がもし同じような状況になったとしても戦い続けよう」という感情が入り乱れるのです。
要は、「最後まで自分を信じ切れるかどうか」という点です。
今回の裁判で、この准看護師が見せつけてくれた「自分を最後まで信じる心」というものに本当の意義があるのではないでしょうか。
最後に
今回は、「特養入所者がおやつのドーナツを喉に詰めて死亡し准看護師が罪に問われていた事件で逆転無罪が確定した」ということについて記事を書きました。
月並みな台詞ですが、とにもかくにも無罪が確定して本当に良かったです。
事実として「この判例が介護現場の未来を変えてくれるかどうか」は未知数ですが、「より一層働きづらくなるということは避けられた」のではないでしょうか。
また、個人的には「自分を最後まで信じる心」というものを教えられた気がします。
泣き寝入りしないためにも、「信じる心」と「証拠」が非常に重要であると再認識させられました。
コメント
そもそもこれがなんで刑事事件になったのか疑問ですが。
ただでさえ事件事故が起こりやすい介護現場で、何か起こるたびに訴えられるとか刑罰を受けるとかなるなら、誰も介護の仕事なんてしなくなりますよね。給料もやっすいし。メリットがないどころか、デメリットしかないじゃん。
私のデイの統合失調症の利用者なんですが、例の認知症のじいさんスタッフが好きなのか、自分の息子だと思ってるのか(笑)、じいさんが近くに来るとすごくおとなしくなるんですよ。
食事介助も、他のスタッフがしたら暴れるのに、認知症じいさんスタッフがしたら静かに食べてるわ。
バカとはさみは使いよう、蓼食う虫も好き好きということわざが、頭の中をかけめぐったのでした。
で、15年使った機械浴の入れ替えがあったんですよ。1000万か・・・。大幅減損確定。(笑)
でも今度のは完全に寝たまま入れる機械浴なのですが、完全に寝たままで入る人がデイに来るって・・おかしくない?
そんな機械浴入れる意味ある?
これからますます寝たきり介護5の重度ばかり入れるんやろな・・って感じでした。
>デイちゃんさん
こんばんは~
コメントありがとうございます^^
検察も有罪になる可能性が高い事件を選定して起訴しているのでしょうから、この介護事故が刑事事件として有罪にできると踏んで起訴したのでしょうが、何故そう思ったのか及び突き動かしたものは何なのかは疑問ですね(確かに1審の地裁では有罪になりましたが)。
確かにデイで機械浴は珍しいですね。
ストレチャー浴の場合は二人介助になるでしょうから時間も人員も取られますね。