利用者に言われて嬉しいセリフは多々あります。
「あんたには何でも言えるし頼みやすい」
「あんたがいてくれたら安心するわ」
等々、現場職員としては介護冥利に尽きるセリフです。
そういうセリフを糧にしたり活力剤として頑張っておられる人もいらっしゃるかと思いますが、私はこのセリフは介護保険制度下の対人援助の現場ではとても闇深いと感じています。
更にはそう利用者に言われたことを周囲に自慢げに話す介護職員もいます。
この状況は更に闇深く、違和感を感じてしまいます。
今回は「利用者に言われたことを自慢げに言う介護職員に感じる違和感」について記事を書きたいと思います。
自慢げに言う介護職員への違和感
こう見えて、私だって上記に書いたようなセリフを利用者から頂戴することはあります。
内心嬉しいと感じるものの「それはそれ」です。
いちいちそれを周りの人や他人に言う必要はないと思っています。
ですから「違和感」を感じてしまうわけですが、その理由を書いていきたいと思います。
理由①「対人援助に「特別」は不要」
対人援助法において、自分だけが特別な存在になってはいけません。
残念ながら、現在の介護保険制度では利用者は介護者を選択したり指定したり指名したりすることはできません。
もちろん、その逆も然りです。
つまり「統一した介護」が求められているのです。
ですから「自分だけが利用者にとって特別な存在になってはイケナイ」のです。
確かに、愛想や表情や性格の良さは現場スタッフ個々で違ってはくるでしょうが、それはあくまで「付加価値」です。
現状では付加価値に対価が発生しない以上、「自分がそうすることで仕事がしやすくなる」というものでしかありません。
もっと言えば、「仕事がしやすい付加価値を共有して統一したケアができる方が一番良い」のです。
ですから、自分だけが「特別」を求め自己満足をしているようでは、組織人としては失格だと言えます。
ましてや自慢げに他人に話すことでもないのです。
理由②「利用者の年の功」
利用者は我々より明らかに長い年月を生き、相当な経験を積んでいる人生の大先輩です。
重度の認知症者は別として、ある程度クリアな利用者は我々ごとき若輩者でコワッパの人間の心を掌握することはお手のものでしょう。
つまり「お世辞や社交辞令を言って相手を気持ちよくさせること」に長けています。
それが、ひいては「自分を特別扱いしてくれるかもしれない」という内心があるかないかは別として「当たり障りが無く、むしろ褒めておけば自分が損をすることもないだろう」ということも熟知しています。
あなたが言われている褒め言葉は、他の職員にも同じように言っているセリフなのかもしれません。
それが良いか悪いかはさておき、要は「あなたは踊らされている」のです。
海千山千の利用者の褒め言葉に良い気分になり、やる気が出るかもしれません。
「ありがとうと言う言葉があれば何でもできる」
「ありがとうが最高の対価」
という業界の方針に一致します。
しかしよく考えて下さい。
「「ありがとう」だけでは生活が成り立ちません」
「あなたの活力は「ありがとう」の言葉がないと発揮できません」
「「ありがとう」を求めるばかりに過剰なサービスを提供してしまいます」
現在の介護保険制度の中では、当たり前のことを当たり前にこなしていれば「ありがとう」の一言くらいは引き出せます。
問題なのは
「自分が良くみられたい」
「自分は特別な存在になりたい」
「自分は他の職員とは能力もサービスの質も違う」
という驕りが存在し、そこに利用者の海千山千の年の功と業界の訳の分からない綺麗ごとの方針につけ込まれているだけなのです。
ですから、そういうことをあえて自慢げに言う人に違和感を感じてしまいます。
理由③「自分は出来るアピール」
「利用者にこんな素敵な言葉をもらいました」
「私は利用者に褒められました」
ということを言う時点で「自分は仕事が出来て皆に好かれる存在であることをアピールしている」ことになります。
しかし、利用者に好かれているとか頼られているとかいう以前に「そういうアピールはとても不毛なもの」です。
そこには「自分の価値を上げたい」「頼もしい存在だと思って欲しい」「ただ単純に嬉しかった」などの心理が隠されているものと思われますが、本当に出来る人はそんなことを言いません。
言わなくても周りが認めるだけの実力があるからです。
つまり、利用者から言われて嬉しかったことを自慢げに言う時点で「自分は経験や能力もまだまだ低い存在である」ということを自ら公言しているのと同じなのです。
自分の価値を上げようとした発言が逆に価値を下げることになるので違和感を感じてしまいます。
最後に
今回は「利用者に言われて嬉しかった言葉を自慢げに言う介護職員に感じる違和感の理由」について記事を書きました。
介護が必要な利用者に援助を行っているわけですから、「ありがとう」の一言や感謝の心を持って欲しという気持ちもわかります。
しかし、闇を感じてしまうのは
「私は利用者からこんな特別なセリフを頂くような素晴らしい職員です」
「私はきっと利用者にとって特別な存在です」
「私は価値が高く仕事が出来る人間です」
と言わんばかりに公言する現場職員の存在です。
そういう自負を持っているのなら、現場全体でそう言ってもらえるような情報の共有や対応の検討を行った方が現場のためにもなるでしょうし、わざわざ言わなくても「そういうことが日常の一部」であるのが本来の姿ではないでしょうか。
本当に大切なのは「ケアチームで統一した介護をどうやって共有し実践していくか」だと思っています。
もっと言えば、特別な言葉を貰う時点で「対応方法が間違っていた」という可能性があります。
つまり、「過剰な支援」をしているのかもしれません。
だとするならば、自慢げに話している場合ではなく「反省すべき点」になります。
結論としては、「自慢げに話す介護職員ほど何かが不足している可能性があるので違和感を感じてしまう」ということになります。