現在の介護業界の方針は、介護職員の専門性を追求し高めていく「スペシャリスト」を育成しようとしています。
他方で、幅広い知識や技術やスキルを持ち合わせる「ゼネラリスト」の側面も求められています。
スペシャリストとゼネラリストのどちらが重要でどちらが必要かというものではなく「介護現場では両方重要で両方必要」であるが故に難しさと奥深さを感じています。
スペシャリストが「狭く深く」であり、ゼネラリストが「広く浅く」という性質のものですから、両方求められてしまうことで「広く深く」を要求されているわけです。
今回は、「介護業界におけるスペシャリストとゼネラリスト」について記事を書きたいと思います。
介護業界のスペシャリストとゼネラリスト
スペシャリストとゼネラリストでは、恐らく「スペシャリスト」の方が聞き馴染みがあるため、介護業界においても「スペシャリスト」と呼ばれていたり、又は自称している人も多いのではないでしょうか。
介護業界におけるスペシャリストとゼネラリストについて解説していきたいと思います。
スペシャリスト
スペシャリストは「専門職」という意味も含んでいますので、その点で言えば介護職員も専門職である以上、スペシャリストです。
介護の知識や技術を高めていく必要がありますし、「利用者の自己実現の支援」という抽象的でありながら壮大なテーマを専門としているため、その専門性を一言で言い表しにくいのも事実です。
介護現場では介護職員がスペシャリストであることは間違いないのですが、介護業界全体を見回してみるとおかしなことに気づきます。
介護業界でスペシャリストと呼ばれている(又は自称している)のは、「研究者」「コンサルタント」などの現場経験が殆どないような人達ばかりです。
つまり、実際の現場を知らず聞きかじった程度の人が「先生」などと呼ばれ、もてはやされるのが介護業界なのです。
この状態は、他の産業や業界ではあまり類を見ない独特の構造ではないでしょうか。
ゼネラリスト
ゼネラリストは「総合職」という意味を含んでいます。
スペシャリストの対極にある存在です。
例えば「現場監督」や「管理職」などは広い見識で総合的に判断し、それぞれをまとめ上げる必要があるため「ゼネラリスト」であることが求められます。
介護現場では、利用者への対応において「傾聴」「受容」「共感」などでは介護職員個々の人間性や社会経験によって大きく差が出る部分でもあります。
介護の専門知識や技術があまりなくても、ゼネラリストとしての人間力や社会経験があれば対応可能なことも意外と多かったりします。
もちろん、ゼネラリストでありながらスペシャリストであれば一番良いのですが、本来対極にあるものが「お互いがお互いを包括してしまっている」ところに難しさがあり、ゼネラリストも含めて「スペシャリスト」と言えてしまうところにモヤモヤしたものが残ります。
介護業界で言えば「管理者」「経営者」などの上に立つ人は、各専門職をまとめ上げる能力を持ったゼネラリストであって欲しいところです。
どちらでもない人
「介護職員はスペシャリストでありゼネラリストだ」などという意識の高いことを言うと、「誰でもできる仕事なのに何を言っているんだ」というようなことを言われてしまうかもしれません。
過去にも何度か書きましたが、そういった意見には「誰でもやり始めることはできるけどやり続けられるかは別問題」「どんな仕事であれ専門性を高めようと努力することはおかしいことではない」という返答をしておきます。
さて、ここで言いたいのは「専門性も幅広い知識も得ようとしないやる気のない介護職員(スペシャリストでもゼネラリストでもどちらでもない人)がいた場合、人間関係が悪くなる」ということです。
「資質がないような人がいるから介護職員が底辺職だと言われるんだ」
「意識高い系は知識や経験や資格でマウントを取ってくるから職場環境が悪くなるんだ」
などと双方の言い分は尽きないでしょう。
これはもう構造上の問題です。
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等々、問題は山積みです。
これらが改善していけば職員個々の資質にしても人間関係にしても人員不足にしても、何らかの解決が見えてくるでしょう。
しかし、一向に改善の兆しが見えないため、介護現場は「混沌とした資質のるつぼ」となっているのが現状です。
最後に
今回は、介護業界におけるスペシャリストとゼネラリストについて記事を書きました。
介護職員はスペシャリストとゼネラリストを包括した職種であるが故に、「広く深く」という奥深さの中に矛盾を感じてしまうこともあります。
また、介護業界は構造上の問題が山積みです。
構造上の問題まで介護職員の責任や問題にしてしまうのは行き過ぎですから「構造担当のスペシャリスト」にどうにかして欲しいところです。