過去記事でも「おむつゼロ運動」について触れましたが、久々にオムツゼロについての話題を目にしましたので、感じた違和感について記事を書きたいと思います。
結論から言えば、その違和感の正体は「本来の目的を見失って、おむつゼロにすることだけが目的になっているのではないか」ということになります。
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おむつゼロにすることが目的になっている違和感
おむつゼロの本来の目的は自立支援であり、「水分・食事・排泄・運動」の4つを大きな軸として最終的には利用者が「トイレで排泄できることの喜び」を感じるようにする一種のスローガンです。
しかし、その実情はどうでしょうか。
違和感を感じるものが多く散見されています。
目的を見失った「おむつゼロは素晴らしい」という風潮
批判をするつもりはありませんが、いつからか「おむつゼロ」がひとり歩きし、「利用者のニーズ」や「利用者の尊厳」や「利用者の喜び」をすっ飛ばして「ゼロにすることが素晴らしい」ということになってはいないでしょうか。
つまり、いつの間にか目的がすげ替わってしまっているのです。
利用者のニーズの有無を言わさず兎にも角にも、おむつゼロを達成すると
- 誰かから評価され表彰され賞状をもらえる
- 介護報酬が手厚くなる
- 実績としてホームページやパンフレットや報告書に謳える
という印象を強く受けます。
その証拠に、多くの情報を確認してみると、
「これだけの数の介護施設がおむつゼロを達成した」
「最初はできないと思っていたけど、試行錯誤しながら何とか達成できた」
などと、あたかもおむつゼロ達成がゴールかのように書かれています。
もちろん、ゼロにすることがゴールではなくその後も継続しておられるのでしょうが、そこには
「利用者がどう喜んでいるのか、又は、喜んでいないのか」
「利用者にどういう良い変化、又は、悪い変化があったのか」
「失禁の頻度は減ったのか増えたのか、それとも変わらないのか」
「おむつをして欲しい、と訴える利用者は1人もいないか」
など、利用者に関することがスッポリと抜けてしまっています。
おむつゼロの本来の目的から考えると「そこが肝」のはずです。
肝の部分が抜け落ちてしまっているおむつゼロ運動は、本来の目的を見失ってしまっていると言っても過言ではありません。
闇雲なゼロは善意の押し売り
何事にも言えることですが、闇雲は良くありません。
0か100かのゼロサムゲームのような極端なものも介護現場では適切ではなく、利用者のニーズを前提とした上で丁度良くやっていく必要があります。
そうでなければ主役が誰なのかわからなくなってしまいますし、そもそも理論だけでは通用しないことは介護現場には山ほどあります。
介護職員が主役になってはいけませんが、現状では
- 経営者
- 介護研究者
- 介護コンサルタント
などの現場に立たない・顔さえ出さない人達の方が主役になってしまってはいないでしょうか。
おむつゼロを達成した介護施設があるとするならば、もっと利用者に目を向けた結果報告や統計が欲しいものです。
そうでなければ、「ただの善意の押し売り」と言われてしまっても仕方がないでしょう。
最後に
今回は、「おむつゼロ運動は本来の目的を見失っているのではないか」ということについて記事を書きました。
「おむつゼロを達成した介護施設は素晴らしい」と手放しで称賛する風潮には違和感を覚えてしまいます。
「その陰で泣いている人や、つらい思いをしている人を新たに発生させてしまっているかもしれない」ということにも目を向けていく必要があるのではないでしょうか。