介護保険サービスの理念を簡単に言えば、利用者の「尊厳の保持」と「自立支援」になります。
介護保険法第1条の「目的」に明文化してある通りです。
(目的)
第一条 この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。
【引用元】介護保険法
尊厳の保持とは、本人の自己決定が尊重されることです。
もっと言えば、
- プライドを傷つけない
- 人格や人権や権利を虐げない
- 子供扱いしない
- 差別しない
ということにもなろうかと思います。
利用者も(もちろん我々も)人間なのですから、個人として尊重されて当然です。
実は、この「尊厳の保持」は憲法第13条にも規定してあります。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
【引用元】日本国憲法
ですから、尊厳の保持は介護保険法以前に憲法の理念のひとつとしてすべての国民が享受するものなのです。
さて、そこまではいいのですが、問題となるのは介護現場において「利用者の尊厳の保持がフォーカスされ過ぎて逆差別となってしまう実情」があることです。
つまり、「過剰に個人を尊重し差別(被差別)を排除しようとする異常な配慮が逆差別を生んでしまっている」ということになります。
今回は、利用者の尊厳の保持が逆差別になってしまう介護現場の実情について記事を書きたいと思います。
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利用者の尊厳の保持が逆差別になってしまう介護現場の実情
逆差別とは、差別を排除しようとする過程の中で差別されてきた側の人達を優遇することで、それ以外の人達の待遇や利益や公平性が損なわれてしまうことです。
つまり、差別を排除するつもりが新たな差別(逆差別)を発生させてしまっている点で不健全な状況であることが理解できるかと思います。
介護現場でも、利用者の尊厳の保持を過剰に意識したり執着をすることで、こういった逆差別が発生している実情があるのです。
以下で詳しく解説していきたいと思います。
実情①:職員が利用者の召使い
「利用者の尊厳の保持をしなければならない」という異常な刷り込みがなされると、職員が利用者の召使い状態になってしまうことがあります。
例えば、
- 利用者の希望や要望全てに対応しなければならない
- ナースコールで呼べばいつでも召喚できる便利な人達
- 職員の人権や権利を犠牲にしてでも利用者の人権や権利を擁護する
などという状況が常態化していれば、逆差別が発生していると言えます。
何故なら、
- 職員も人間であり尊厳の保持をされるべきなのに反故にされている
- 利用者を優遇することによって職員の待遇や公平性が損なわれている
ということになるからです。
もちろん、職員は仕事として介護サービスを提供しているわけですから、より良いサービスを提供していこうとする上で常識の範囲内での一定の犠牲や負担は付きものですが、「常識の範囲を超えてそれらが常態化しているとすれば逆差別状態」と言っても過言ではありません。
そもそも、職員と利用者は対等な存在であり、どちらが上でも下でもないはずです。
利用者の尊厳の保持のために、利用者を過剰に優遇し職員がまるで召使いのようになってしまっている介護現場は、逆差別が横行している不健全な職場であると言えます。
実情②:無法地帯、治外法権
前述したように、職員が召使いのような状況であれば不当な逆差別が常態化していると言えますが、「不当だけではなく違法な状態」が常態化している場合も往々にしてあり得ます。
つまり、介護現場が無法地帯や治外法権のようになってしまっているのです。
例えば、利用者の
- モラルハラスメント(モラハラ)・侮辱・名誉棄損
- セクシャルハラスメント(セクハラ)・強要・(準)強制わいせつ・公然わいせつ
- パワーハラスメント(パワハラ)・暴言・脅迫
- 暴力・暴行・傷害・器物破損
などの法律に抵触するような行為が野放しになっていれば、無法地帯・治外法権の世界だと言っても過言ではありません。
もちろん、認知症の症状であったり精神疾患などの病気の症状である場合も少なくありませんが、問題なのは「そういう利用者の加害行為に耐えながら介護をするのが当たり前」という風潮になってしまうことです。
仮に病気の症状であったとしても、野放しや容認して職員の自己犠牲だけに頼ってしまう状況が常態化しているのだとすれば、それは逆差別を助長していることになり不健全な状態です。
こういった場合、
- 対応方法の検討・共有
- 薬の調整
- 医療機関との連携や橋渡し
- 利用契約の解除や退所
などを行っていくのが本当のプロではないでしょうか。
無法地帯や治外法権が野放し状態の介護現場では、排他的な隠蔽体質になりやすくもなりますし、その先に待っているのは「職員の泣き寝入りや堪忍袋の緒が切れることで発生する虐待や介護事件」だと言っても過言ではありません。
事実、そういう報道が時々流れてきますが、それらはまだまだ氷山の一角でしょう。
介護現場では、利用者の違法行為を野放しにし、黙認や容認をする逆差別によって職員も利用者も不幸になっていく実情があるのです。
実情③:メサイアコンプレックス
「差別はダメだけど逆差別も良くない」ということは、社会通念上の常識で考えれば誰でも理解ができることですが、介護業界にはそれが理解できない人達が存在しているのも事実です。
「自分を犠牲にして他者に尽くすことが気持ちいい」
「逆差別がダメだという常識に捉われてはいけない」
などと、一見良いことを言っている人達の存在です。
しかし、そこに透けて見えるのは、
- 自己陶酔(ナルシズム)
- 自己満足(独りよがり)
- 利己主義(エゴイズム)
- 異常な自分軸・嗜好・性癖
などになります。
つまり、「逆差別を自分の満足感や恍惚感を得るために行うちょっとアレな人達」なのです。
「福祉」という特殊な業界上、こういう人達が少なからず存在しているため、「利用者の尊厳の保持という名の逆差別」が常態化している実情があります。
こういう人達のことを「メサイアコンプレックス(救世主妄想)」と呼びますが、介護現場の逆差別を助長させている権化だと言っても過言ではありません。
メサイアコンプレックスについては、下記記事でも触れていますのでチェックしてみて下さい。
最後に
今回は、利用者の尊厳の保持が逆差別になってしまう介護現場の実情について記事を書きました。
「差別もダメだけど逆差別もダメ」という前提で考えれば、介護現場において、
- 職員が召使い状態
- 無法地帯や治外法権
- メサイアコンプレックス
があってはならないということも理解ができるかと思います。
差別も逆差別もない状態が、本当の意味での「利用者の尊厳の保持」と言えるのではないでしょうか。