デリカシーとは、繊細さや気配りという意味です。
ですから、「デリカシーがない」「デリカシーに欠ける」とは、配慮や気配りがなく失礼である場合に使います。
介護という業務上、利用者のパーソナルスペースにも介入して支援を行っていくため、デリカシーには配慮していくことが大切です。
とは言え、利用者だけでなく同僚や多職種も含め、また、社会生活を営む上で誰に対しても最低限のデリカシーが必要になってきます。
「親しき仲にも礼儀あり」ということわざ然りです(厳密にはデリカシーと礼儀は違いますが、どんなに親しい間柄であっても配慮が必要ということです)。
今回は、介護業界に存在するデリカシーがない人の特徴について記事を書きたいと思います。
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介護業界に存在するデリカシーが無い人の3つの特徴
デリカシーの無さは介護業界に限らず全ての場合に共通するものですが、介護現場に当てはめて「デリカシーがない人の3つの特徴」をご紹介していきたいと思います。
特徴①:体型や容姿や病気をネタにする
他人の体型や容姿や病気を指摘したり笑いのネタにする人はデリカシーが欠けています。
介護現場での利用者の多くは、何らかの持病を抱えています。
例えば、病気や薬の副作用によって顔や体がむくんだり、無表情になったり、身体の動きが鈍くなったりします。
そういう人に対して、
「むくんでますね~食べ過ぎじゃないですか?」
「顔が能面みたいになってますよ」
「動きが亀さんみたいですね」
などと言って嘲笑したりネタにすることはあってはなりません。
これは「信頼関係ができていれば有り」ということにもならず、「ただただデリカシーがないだけ」です。
逆に、構築していた信頼関係を壊してしまうことにもなりかねず、言わないことが倫理観であり道徳心であると言えます。
また、こういうデリカシーの無い人は利用者に対してだけでなく同僚や職場外での他者に対しても言ってしまうのが特徴です。
それが、
- いじりやいじめ
- パワハラ
- モラハラ
に繋がっていくのではないでしょうか。
言わなくてもいいことを言ってしまうことで人間関係が悪化していく原因にもなります。
特徴②:空気が読めず人の話を聞かない
空気が読めず相手の立場に立って考える配慮もできず、また、思ったことをすぐに口にしてしまう人は「デリカシーがない」と言えます。
前述したような、人様の体型や容姿や病気をネタにしたり、パーソナルスペースに土足でズカズカと入り込んで来る時点で空気が読めておらず、周りからの忠告や進言にも耳を貸さず直そうともしないという特徴があります。
そういう自分が「カッコイイ」と思い込んでいる節もありますが、人の話を一切聞かず自分の意見を強引に押しつけたり推し進めようとする姿も含めて「無神経でデリカシーが無い」のです。
デリカシーが欠けた人は介護現場でも、
- 自分が良かれと思ったケアをスタンドプレイで行う
- 自分の思う介護観を他の職員や利用者に押し付ける
- 相手が嫌がっているのに喜んでいると思い込む
- 関係法令よりも自分こそが基準であるという無法地帯
など「常に自分中心のケア」を行ってしまうという特徴があります。
特に介護現場では、「利用者を中心として支援を行っていくこと(パーソン・センタード・ケア)」が求められているわけですから、デリカシーがない人の行いは本末転倒なのです。
特徴③:日本と海外を比較する出羽守(でわのかみ)
デリカシーが無い人は、日本と海外を比較して「日本は窮屈で古臭くて不自由」「海外は大らかで斬新で自由」というようなことを言う特徴があります。
「隣の芝生は青く見える」ということわざを地でいっているのです。
こういう海外などを引き合いに出して語る人のことを「出羽守(でわのかみ)」と言いますが、デリカシーの無い人は自分が世間に受け入れられない理由を「日本の風習や風土や慣習のせい」にする習性があります。
要は、「日本国や日本国民のお国柄に責任転嫁をしている」のです。
もっと言えば、「日本をスケープゴートにした無いものねだりの自己中心的なわがままな人」だと言えます。
介護業界でよく引き合いに出されやすいのが、「スウェーデン」などの北欧の国ですが、北欧であろうとフランスであろうとドイツであろうと、世界の多くの国でも「デリカシーのない人は受け入れられない」と思うのですがどうなのでしょうか(デリカシーの無い人が歓迎される国を知っているという人は教えて下さい)。
自分のデリカシーの無さが受け入れられないのをお国柄のせいにして責任転嫁してしまうことも含めて「デリカシーがない」と言えます。
最後に
今回は、介護業界に存在するデリカシーがない人の3つの特徴をご紹介しました。
介護現場に限らず、日常生活でも海外でもデリカシーは必要です。
デリカシーが欠けてしまっていると、他者を傷つけたり不快にさせる原因にもなります。
「デリカシーのない自分をも認めてくれるような多様な社会であって欲しい」という自分勝手な寝言は寝てから言いましょう。
自分自身もデリカシーを欠かないように注意をしていきたいところです。