介護現場では、介護が必要な利用者のニーズに応えたり自立を支援していくことが必要であるとともに、人権を尊重し権利擁護をしていくことも求められています。
しかし、介護施設であれば共同生活をしているため、全てを望み通りに叶えることはまず不可能な状態です。
そもそも、利用者から介護職員に対する暴言や暴力や性的言動などのハラスメントや法律に抵触するような状況もある中で、「利用者の希望を無制限に全て叶えることは不適切」という場合も往々にしてあります。
もちろん、介護現場では「最大限希望に沿えるよう配慮をする」ということが求められているのかもしれませんが、現状で「全ての希望や要望やわがままさえも受け入れようとする体制が介護現場を不健全なものにしてしまっている」ということには目を向けていく必要があります。
何故なら、過去記事でも少し触れましたが「人権や権利は絶対的無制限ではなく公共の福祉による制限を受けるから」です(下記記事参照)。
今回は、介護現場で利用者のわがままを無制限に受け入れることが人権尊重や権利擁護だという勘違いについて記事を書きたいと思います。
尚、本記事では、ニーズの定義を「要求や要望」、わがままの定義を「自分勝手な要求や要望」として書いていますが、「自分勝手の範囲や価値観」は人それぞれ違ってくるでしょうし、最終的にはチーム全体で検討して判断することが必要ですから、どちらも「要求や要望」として読み替えて頂ければ良いかと思います。
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利用者のわがままを無制限に受け入れることが人権尊重や権利擁護だという勘違い
「介護現場では利用者のわがままさえも全て受け入れることが介護職員等に課せられた使命であり人権尊重や権利擁護だ」という勘違いをしている人もいらっしゃるようです。
しかし、結論から言えば、「介護保険サービスの中では利用者のニーズを全て受け入れることは不可能」ですし、公共の福祉に反するわがままは受け入れる必要はありません。
もちろん、介護保険外でわがままなニーズに応えてくれるサービスがあるのであれば、自費でそちらを利用するという方法はあるでしょう。
では何故、介護保険サービスでは利用者の全てのニーズやわがままを受け入れることが不可能なのでしょうか。
勘違い①:介護保険制度は万能ではない
まず第一に、「介護保険制度は万能ではない」ということになります。
介護保険の財源は限られていますし、そもそも介護保険を使えば全てのニーズや希望が叶えられるとすれば「四次元ポケットか打出の小槌」でしょう。
財源が限られている上に、介護現場の人員も不足しているわけですから、何でもかんでも無制限に受け入れられるわけではないことは理解ができるはずです。
しかし、介護保険サービスは「利用者の心身の状態に応じてニーズを達成できるように支援していく」ことも求められているため、拡大解釈すれば「利用者のわがままさえも受け入れたり受け入れられるように検討していく」ということになってしまっています。
線引きが曖昧なために、介護職員にとっては「最低の待遇で最高のサービスを提供することを求められる」という自己犠牲や矛盾や不合理や「介護保険制度は万能であるかのような勘違い」が生じているのが現状です。
しかし、常識的に考えて「そんなはずはない」のですが、「そんなはずはないことが常識のような顔をして今日まで来てしまっている」という状況が「介護の常識は世間の非常識」と揶揄されてしまうひとつの原因と言えるのではないでしょうか。
勘違い②:介護現場が治外法権になっている
高齢者や利用者に限らず、日本国民や日本国内での人権や権利は絶対的無制限ではありません。
いくら介護現場では権利擁護が必要だからと言って、その人権や権利が絶対的無制限であれば憲法第12条や第13条に反してしまうことになり、「介護現場は治外法権の世界」ということになってしまいます。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
【引用元】日本国憲法
日本国憲法第12条では、「国民は自由や権利を濫用してはならない」「常に公共の福祉のために自由や権利を利用する責任がある」と規定され、第13条では「全ての国民は個人として尊重されるものの人権や権利は公共の福祉に反してはいけない」と規定されています。
「公共の福祉」とは、他の誰か(利用者や介護職員も含まれる)の人権や権利のことを指します。
ということは、介護現場も日本国内であるとするならば、日本国憲法が適用され利用者の人権や権利も「濫用は許されず公共の福祉による制限を受ける」ということが理解できるはずです。
但し、認知症がある人や特別な保護が必要な人が多いのが介護現場であるため、デリケートな(言い換えれば、腫れ物のような)扱いになり、うやむやにされたり黙認されてきたのが「利用者の権利の濫用」です。
ですから、もし未だに介護現場において「利用者からのハラスメントや暴言や暴力も受け入れるべき」というような治外法権が野放しになっているとすれば無法地帯です。
例えば、「男性利用者が女性職員の胸やお尻を触りたいというニーズ」は他者の人権や権利を侵害してしまうために公共の福祉に反しており、受け入れる必要はないことは理解ができるかと思います(保険外サービスを自費で利用するのはありでしょう)。
それは、高齢者や利用者だけでなく我々だって同じです。
介護保険を利用することで、公共の福祉に反した治外法権となり人権や権利の濫用を許容し何でも願いが叶う状態にしてしまうことこそ憲法違反であり逆差別であり不適切な状態だと言えます。
利用者を刑事告訴したり民事で提訴することが可能かどうかというのはまた別の話になりますが、最低限「ダメなことはダメ」という判断ができて逆差別をしないことが法令を遵守した本来の人権尊重や権利擁護であり、本当のプロと言えるのではないでしょうか。
※憲法は国民が国家権力を監督する性質のものですが、私人間効力(しじんかんこうりょく)も間接的に適用されるというのが判例通説の有力説です。
勘違い③:利用者の自立を妨げる
介護保険制度は、簡単に言えば「利用者の尊厳の保持」と「自立支援」を目的としています。
(目的)
第1条
この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。
【引用元】介護保険法
尊厳の保持はもちろんしていく必要がありますが、自立支援もしていかなければならないため、「状態や状況に応じて自分でできることは自分でやって貰う」「残存能力を活かした介護を行う」ということをしていかなければなりません。
そうなると、「何でもかんでもして欲しい」という利用者のわがままに全て応えてしまうことは介護保険の目的に反し、利用者の自立を妨げることになってしまいます。
もちろん、そういったニーズをもとに統一した介護ができるよう情報共有をしたり、どういう対応をしていくのが良いのかを検討していくことは必要ですが、「全てのニーズやわがままが無制限に受け入れられるわけではないし受け入れることが不適切な場合もある」のです。
それを理解していれば、「利用者のニーズを無制限に受け入れることが人権の尊重や権利を擁護している」という考え方が勘違いであることに気づくのではないでしょうか。
最後に
今回は、介護現場で利用者のわがままを無制限に受け入れることが人権尊重や権利擁護だという勘違いについて記事を書きました。
介護保険制度の構造上の問題もあり、「最低の待遇で最高のサービスを提供しなければならないようなヘンテコな状況」になってしまっています。
現場職員の自己犠牲で何とかやってきた部分が大きいのですが、整備していかなければならないのは制度や体制や構造です。
そこに目を向けず、勘違いしたまま
「自己犠牲が払えない介護職員はダメ」
「どんなニーズやわがままも受け入れるのが介護職員」
「それができないなら介護職員を辞めればいい」
というような、介護職員や介護関係者同士で石を投げ合うようなことがあれば悪循環でしかありません。
「利用者のニーズやわがままを無制限に受け入れる必要は無い」という共通認識と、「事業所での線引き(ひいては、制度上の線引き)」が必要ではないでしょうか。