常に人員不足の介護現場ですから、「これ以上職員が減ってもらったら困る」ということにやっと気づき出した事業所や上司もいるのではないかと思っています。
ですから、最近は現場職員に対しても「表面上は耳触りの良い言葉掛け」が行われるようになってきました。
「しんどい時は無理をせずに遠慮なく言って下さい」
「出来るだけ残業をせずに帰ってもらう為に、優先順位をつけて仕事をして下さい」
そういった配慮をしてくれたり言葉掛けはありがたいのですが、結局はその後の対応や対策がないと根本的な解決にはならないので、「言った所で何も変わらない」という現実があるのも確かです。
つまり、結局は「無意味な配慮」になってしまっています。
今回は、介護現場の上司の「しんどい時は遠慮なく言いなさい」という無意味な配慮について記事を書きたいと思います。
そもそも毎日「しんどい」
「しんどい」の定義が非常に曖昧です。
そもそも、日常業務そのものが「しんどい」のです。
これからどんどん気温も上がり、暑くなっていけば尚更しんどい日々が待っています。
「入浴介助」は蒸し風呂かサウナの中で介助をしている状態になるので、簡単に言い表せば「地獄」です。
「ワンオペ夜勤」は一人の職員で20人の利用者を介護し、朝になれば起床介助で走り回ります。
早出勤務者が来るまで気が抜けず、簡単に言い表せば「過酷」です。
既にそういう状況なのが「しんどい」わけですが、現状では「当然やるべき日常業務」となっている為、そんな基本的な業務を「しんどい」とは言えない状況があります。
ですから、上司の言う「しんどい時」というのは、
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ということになろうかと思います。
しかし、そんな状況になってから訴えても「手遅れ」です。
しばらく休むか辞めざるを得ない状況になってしまうかもしれません。
手遅れになる前の軽微な体調の変化も上司へ申し出て、「何かしらの対応」をしてもらい、休んだり辞めたりしなくて済むような対応をしてもらうのがベターな考え方かと思われます。
早めに申し出た時の上司の反応
上司の甘い言葉を真に受けて、実際に早めに体調不良や体力的なしんどさを申し出た職員がいました。
早めに言っても無駄
「毎日、入浴介助で身体の節々も痛いし、体力的にもしんどいです」
そう訴えた職員への上司の返答は
「他に症状はある?」
「病院には行った?」
「湿布を貼るとか水分をこまめに摂るなどの自己管理はしてる?」
「ゆっくりでいいから入浴介助に入れる?」
「無理をしないようにボチボチやってくれたらいいよ」
「大変だけど頑張って」
という結果になり、結局は入浴介助をすることになりました。
自己管理にも限界があります。
ボチボチやると言っても、限られた人員と時間の中で、のんびりやっていたら業務が終わらず残業をしなければなくなってしまいます。
残業になれば余計に自分がしんどくなってしまうので本末転倒です。
結局、早めに上司に申し出ても「何も変わらない」状況があるのです。
上司にしてみれば「優しい言葉掛けをすることが出来た」という自己満足や自己陶酔をして悦に入っているに過ぎません。
そうなると、結局は「自分がぶっ倒れるまで働き続けなければならない」という状況が常態化しているのです。
ぶっ倒れる直前に言っても無駄
インフルエンザが流行している時期に、施設内の利用者も数名罹患しており居室に隔離をして対応をしていた時の話です。
早出の職員が38℃以上の熱があり、出勤前に事業所へ電話しました。
普通ならば、その日は休み確定で、上司としては病院受診とインフルエンザの検査を指示するかと思いますが、ナント
「とりあえず出勤してきて欲しい、来てから考えよう」
という返答だったようです。
これには理由があり、人員不足もそうですが「早出出勤者に休まれると完全に業務が回らない」という介護現場の実情があるからです。
元々、朝食の提供や介助は「夜勤明けの職員」と「早出職員」の二人で行っています。
二人しかいない配置で、早出職員が休んでしまうと夜勤明けの職員が1人で対応せねばならず、完全に破綻してしまいます。
夜勤者も、まず定時には帰れないでしょう。
ですから、高熱のある早出職員を出勤させたかった上司ですが、もしインフルエンザだったら施設内に蔓延させてしまう危険があります。
出勤してきた早出職員に上司が掛けた言葉は
「しんどいところ悪いけど、インフルエンザで居室に隔離になっている利用者の食事介助だけお願い」
というトンデモない指示でした。
言い方は柔らかくても、言っている内容はパワハラそのものです。
いくら人員不足で業務が回らないからと言って、インフルエンザに罹患しているかもしれないけどそうじゃないかもしれない高熱のある職員にインフルエンザ罹患中の利用者の対応をさせるなんて、完全に狂っています。
その早出職員は、フラフラになりながら朝食介助を終え、早退していきました。
病院受診の結果、インフルエンザ陽性で暫く休むことになりました。
高熱がある時点で、「休まなければならない」ということがわかっているので、最後の最後までこき使おうとした上司の本心が透けて見えます。
結局は、早めに言おうが、限界点で言おうが無駄で無意味な配慮しかしてもらえず、「上司の存在自体が無意味」なのです。
上司にしてみれば
上司側に立って考えてみると
「不調を訴えられても代わりの人員もおらず何も対応ができない」
「口先だけの言葉掛けをするくらいしか対応策がない」
「多くの職員が同時に申し出てくると現場が回らない」
「無理を承知の上でやってもらわないと困る」
「現場が破綻するのを1分1秒でも遅らせたい」
という心境なのが丸見えです。
職員の体調やメンタル面に配慮した「しんどい時は無理をせず申し出て下さい」という言葉掛けも、その配慮の先にある「対応」や「解決策」や「代替案」が実行されないと全く意味を成しません。
ひいては
「どうせ言っても無駄」
「言っても何もしてくれない」
「言うだけ時間の無駄」
「何かもう上司の顔を見るのもイヤ」
という印象を与えてしまい、申し出る職員もいなくなってくるでしょう。
「暖簾に腕押し」「糠に釘」という運営が常態化している介護現場の人員不足が解消する日は、まだまだ遠い未来の話です。
最後に
今回は、表面上は現場職員に配慮しているような上司の「しんどい時はいつでも遠慮なく言いなさい」という言葉が全くの無意味であり、「そもそも上司の存在価値さえ全く無い」ということについて記事を書きました。
もうひとつ上司に特徴的なのは「人を見て言っている」ということです。
つまり、文句を言えなかったり、言い返すことが出来ないような職員には強気で言うのに対して、文句を言ったり、言い返してきそうな職員には下手(したて)に出るというように対応を変えています。
そういう意味でも、「介護の仕事に向いている人と続けられる人は全く別でベクトルも次元も異なる」と言えます。
このままでは、人員不足はいつまで経っても解決しませんし、人員不足だからそういう無価値な上司が誕生していく悪循環が続いていきます。
求めているのは、無意味な配慮ではなく意味のある対応なのです。