いつものように家のポストを覗くと、とあるチラシが入っていたのですが、そこには大きな見出しで「まずは高齢者を救える社会を作る」と書いてありました。
この見出しを見た時に、介護業界に身を置く私としては「まずは現役世代を救う必要があるだろう」と思ってしまいました。
福祉という名の業界で働いているので、「高齢者や社会的弱者を支援する」立場にあるのですが、どう考えても社会的弱者なのは「介護業界で働く現役世代」なのです。
今回は「本当に救われていく必要がある人は誰なのか」ということについて記事を書きたいと思います。
まずは若者が救われなければ高齢者を支えられない
もちろん、一口に高齢者と言っても色々な環境で色々な立場で色々な状況の人がいます。
それは、若者だって同じことです。
一番怖いのは「全ての高齢者」=「社会的弱者」と決めつけてしまうことであり、現役世代が全ての高齢者を支えていかなければならないと思わされ、実際そういう制度になっていることです。
仮にそれはそれで、そういう制度だから仕方がないにしても、それならばまず、支える側の現役世代がもっともっと元気で救われていかなければ、肝心の高齢者を支えることが出来ません。
最悪の場合、共倒れになってしまうでしょう。
「神輿(みこし)型」
1960年頃は多くの若者で1人の高齢者を支えていた「神輿型」でした。
支える人数が多いほど、負担も少なくて済みます。
「胴上げ型」とも言うようです。
「騎馬戦型」
2010年頃には2人~3人の若者で1人の高齢者を支える「騎馬戦型」になりました。
今が正にこの状態です。
若者の負担が徐々に大きくなってきています。
「肩車型」
そして2050年頃になると1人の若者で1人の高齢者を支える「肩車型」の時代が来ると言われています。
こうなってしまうと「肉体的にも精神的にも経済的にも負担が大きすぎて支えることが困難」になってしまいます。
しかし現にそういう状況になりつつあるのが、日本なのです。
ですから、そうなる前に「若者を救済していく」「若者に肉体的にも精神的にも経済的にも余力を与えていく」ということが必要になります。
資産状況で見る「社会的弱者」
先程も触れましたが、本当に全ての高齢者が「社会的弱者」なのでしょうか。
「社会的弱者」の定義については、
社会的弱者(しゃかいてき じゃくしゃ、英: socially vulnerable)とは、一社会集団の成員でありながら、大多数の他者との比較において、著しく不利な、あるいは不利益な境遇に立たされる者(個人あるいは集団)のことである。
【引用元】ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E5%BC%B1%E8%80%85
となっています。
高齢者になると身体的・認知的能力が衰えてくるので、現役世代の人と比較すると著しく不利な「身体的肉体的な弱者」の状況にあると言えます。
それは自然の摂理であるので、謂わんとしていることはよくわかるのですが、個人差も大きいことには留意しておく必要があります。
もうひとつ忘れてはいけないモノサシとして「経済的弱者」があります。
高齢者になると働くこともままならず、収入が乏しくなっていくので福祉による経済的な支援が必要なのはわかりますが、もっと問題なのは「働いているのに収入が乏しいワーキングプアのような現役世代」ではないでしょうか。
ワーキングプアの定義は「年収200万円以下」とされていますが、仮に年収300万円、400万円あったとして、貯蓄がどれくらいできてどんな将来像が描けるのでしょうか(介護福祉士の全国平均年収は約360万円)。
経済的に余裕のない若者は自分の生活もギリギリ状態なのに、高齢者まで支える余力が残されていません。
このままでは「老老介護」ならぬ、社会的弱者が社会的弱者を介護する「弱弱介護」の時代になっていくのではないでしょうか(実際そうなっているように感じます)。
世代別の貯蓄額について下記統計で触れておきたいと思います。
※データは2016年。総務省「家計調査」の年代別貯蓄規模(1世帯当たりの貯蓄額×世帯数分布)の比率を使用した推計値(2016年の平均値)。
※四捨五入の関係で合計が100%とならない場合があります。
【出典】総務省「家計調査」を基に三井住友アセットマネジメント作成
日本では60歳以上の人が全体の3分の2以上の貯蓄額を持っています。
つまり「高齢者には経済的強者」が多数存在するのです。
逆に言えば「現役世代は経済的弱者」が多いと言えます。
貯蓄額や経済状況だけで言えば「弱者が強者を支援している」のです。
なんとも皮肉な社会保障制度でしょうか。
もちろん、高齢者の中にも経済的弱者が存在することでしょう。
要は、本来の福祉はそういう「足りない部分」「支援が必要な部分」を保障していく必要があるのであって「高齢者の全てを対象にしてしまうと支えきれない」ということを再確認していかなければならないのではないでしょうか。
確かにだんだんと、そういう検討もされていて、所得や貯蓄に応じて高齢者の介護保険サービスの負担額は1割~3割になってきています。
ですが、上限が3割ではやはり格差が生まれてしまいます。
貯蓄額1000万円(年金収入が344万円以上)の人と貯蓄や収入が10億円の人と同じ3割負担では、あまりにも格差がありすぎます。
大変申し訳ない話ではありますが、ある一定以上の所得や貯蓄のある高齢者は、現役世代のために今以上の負担を背負ってもらえたら、少しは日本も若者も救われていくのではないでしょうか。
何故なら、そういう人に対しても我々現役世代の介護保険や税金が使われている以上、身体的に直接介護をすることで「現物支給」し、介護保険や税金を支払うことで間接的に「現金支給」をしているため、身体的肉体的にも経済的にも負担が大きく「高齢者の幸せのために現役世代が不幸になっていく不健全な呪縛から解放される必要があるから」です。
高齢者の負担を増やす目的ではなく、「現役世代の負担を減らし救済することで、本当の意味での社会的弱者を支えられる体制をつくる目的」として、今後そういった制度へと変遷していくことが必要だと感じています。
最後に
今回は「本当の意味での社会的弱者は現役世代であり、現役世代を救済し余力をつけていかないと今後は高齢者を支えられなくなる可能性があること」について記事を書きました。
高齢者を救済する前に、現役世代を救済してもらわないと、我々の人生設計が成り立たないだけでなく、日本の将来も危ぶまれます。
何故なら、福祉は社会的弱者を救済するものであり、全ての高齢者が社会的弱者とは言い難いからになります。
そして、本当の意味で社会的弱者は現役世代にシフトしつつあります。
現役世代に元気と安心できる収入がないと高齢者を支えることは困難なのです。
もっと言えば、富裕層の高齢者が貧困層の高齢者を経済的に支援していく「経済的な意味での老老介護」を検討していくのもひとつの手段ではないでしょうか。