介護の仕事は「やりがい」があります。
それは本当に間違いありません。
しかし問題なのは
|
ということです。
つまり、介護業界は「やりがいだらけ」ではあるものの、その対価や賃金が労働に見合っておらず「やりがい搾取」が平然と行われている業界なのです。
そんな状態では人材が確保できるはずもありませんが、今なお「やりがい搾取」がスタンダードとなっている介護現場の実情について記事を書きたいと思います。
やりがい搾取(やりがいさくしゅ)とは、経営者が金銭による報酬の代わりに労働者に「やりがい」を強く意識させることにより、その労働力を不当に安く利用する行為をいう。
【引用元】ウィキペディア「やりがい搾取」
「やりがい」だらけ
介護現場には「やりがい」が沢山あります。
①休憩を削って利用者の対応をする
介護現場では、利用者という「人間」を相手にしているのですから、常に「待ったなし」です。
「ちょっと待って下さい」 などと言おうものなら「スピーチロック」と言われてしまう四面楚歌状態です。
お陰さまで、介護職員はゆっくり休憩をする時間もなく、利用者の見守りをしながら数分間で掻き込むように食事を摂るのがやっとの現状です。
自分の食事をしている最中に利用者がトイレに行こうとしていれば、モグモグと咀嚼をしながらトイレへ案内し排泄の介助をします。
介護業界では、この状態を「やりがい」と呼ぶようです。
②事務仕事はサービス残業
人員不足で現場対応ですらそんな状況ですから、書類やパソコン入力や事務仕事は現場で残業をした後に更に残業をして行うことになります。
その書類だってクオリティの高い内容でないと、上司やケアマネからダメ出しをされてしまいます。
介護職員が勤務中に椅子に座って事務仕事をしていると、「現場業務をさぼっている」という偏見の目で見られることがあります。
何故なら、常に現場では人手が足りていないので「介護職員がのんきに事務仕事をやっているなんてけしからん」と思われてしまう風潮があるからです。
しかし、「では、いつ事務仕事をすればいいのか」「小間切れの時間ではクオリティの高い内容にはできない」という四面楚歌状態です。
仕方がなく、現場で残業をしたあとに、事務仕事を「サービス残業」で行っている介護職員も沢山います。
これが介護業界の言う「やりがいのある仕事」の正体なのです。
③利用者のニーズや自己実現を支援する仕事
介護職員は「利用者のニーズや自己実現を支援する仕事」と言われています。
- 自立支援
- 利用者本位
のケアを行うことで利用者を支援します。
介護職員は、力の限り自己犠牲を払い自分の人格や人権を見失いそうになりながら、利用者を幸せにするためだけに業務を行います。
「ありがとう」 と言ってもらうだけで心が救われることもありますが、認知症の利用者の場合はそういう言葉を期待することも難しいので、「恐らくそう思っているであろう」という空想と想像の上でケアを行います。
いつの間にか、
「利用者のためなのか、家族のためなのか」
「利用者のためなのか、加算を取るためなのか」
「利用者のためなのか、世間体のためなのか」
「利用者のためなのか、実地指導のためなのか」
がわからなくなりますが、次第にそれも気にならなくなってきます。
気にしていたら業務が回らなくなってしまうのです。
事業所の方針(理想)と実情(現実)に大きな乖離と不整合がある研修の狭間で、介護職員は板挟み状態となり、自己犠牲を払うことで帳尻を合わせて働いています。
介護業界では、「やりがいと自己犠牲がイコール」なのです。
「やりがい」搾取
介護現場ではたくさんの「やりがい」があることは理解できました。
しかし、やりがいだけを強く意識させることで、介護職員の「自己犠牲」を引き出すことによって、その労働力を「不当に安く利用している」のではないでしょうか。
①労働と対価が見合っていない
確かに、介護職員にも事前に提示された分の給料がもらえます。
しかし、そこには「自己犠牲の分」まで含まれていません。
|
そういった部分を「やりがい」という言葉を使い、介護職員の労働力を不当に安く利用していないでしょうか。
つまり、「やりがいばかりの事業所」は「自己犠牲ばかりの事業所」なので、「ブラック事業所」なのです。
介護業界にブラック事業所が多い理由が理解できます。
②どんな仕事にもやりがいはある
介護の仕事に限らず、他のどんな仕事であれ「やりがい」はあります。
やりがいのない仕事を探す方が難しいのではないでしょうか。
つまり、介護業界は「やりがいがあるという当たり前のことを付加価値も付けずに言っている」ことに問題があります。
どの業界も産業も、「やりがいがあるのは大前提として、その上で付加価値があるから人材を確保できている」のです。
例えば
|
などです。
介護業界では、「やりがいの付加価値がやりがい」になってしまっており、「ちょっと意味がわからない」ために、人材が集まらないのも無理はないでしょう。
③結局は国が手綱を握っている
野菜の価格や人件費でもそうですが、「需要と供給」があります。
そして、その価格は本来「需要と供給が一致」するように決まっています(均衡価格)。
長い間、介護士不足が叫ばれている現状は「介護を必要とする需要はたくさんあるのに、供給する側の介護士が不足している状態」です。
ですから、正常な経済の流れでいけば、「介護士の収入はもっと上がらなくては釣り合わない」と言えます。
それなのに、一向に給与水準は上がりませんし、未だ他産業よりも大幅に少ない現状です。
その原因は、介護職員の給料は「介護保険」で賄われていることにあります。
つまり、財源が足りていないのです。
この財源を握っている国が、どういう対応をするかで介護職員の収入が左右されると言っても過言ではありません。
例えば、外国人介護士を大量斡旋するために使った(又は使う予定の)税金を、日本人介護士のために使ってくれた方が良かったのに、と私は思っています。
外国人介護士が悪いわけではありませんが、このままでは「やりがい搾取をされる人を闇雲に増やすだけ」でしかありません。
つまり、結局は手綱を握っている国も「介護職員のやりがい搾取をする方針」であることがわかります。
最後に
今回は、介護現場で平然と行われている「やりがい搾取」について記事を書きました。
求人募集にも「やりがいだけ」をアピールしているものも目立ちます。
しかし、「それでは人材は集まらない」のです。
財源の問題もあるため、今日明日で賃金水準を大幅に上げることは難しいでしょうが、それならばまず「やりがいという名の自己犠牲を減らしていく」ことが人材確保のためのキーポイントになるのではないでしょうか。
やりがい搾取をしたまま人材を確保しようとする根性が図々しいのです。