介護職員の処遇改善や賃金水準のアップを訴えると、様々な人から様々な意見があるわけですが、「明らかに極論暴論」というものは除いて「色々な意見があっても良い」と思っています。
その中で度々出てくるのが、「介護職員の質と量と対価の関係性」です。
現状では、「最低の対価で最高のサービスを提供することを求められる方針」であるため、実際に働いている介護士も不満を持ち将来に不安を感じてしまい、新たな人材も集めにくい状況です。
つまり「質と量の両方を求めてしまい対価に関しても身動きが取れない状態」だと言えます。
今回は、この三すくみ状態の「介護職員の質と量と対価の関係性」について記事を書きたいと思います。
※「対価」とは、「給料ベースや収入や退職金を含めた福利厚生全般の処遇」を指します。
介護職員の質と量と対価の関係性
普通に考えて、介護職員の「質が上がればハードルが上がり量を確保できなくなる代わりに対価が増える」「質が下がればハードルも下がり量を確保できる代わりに対価が減る」のですが、現状では「質を上げようとしているのにハードルを下げて対価は変わらず」というよくわからない状態になってしまっています。
ですから、方針としてもその「意味不明な状態」をハッキリさせる必要があります。
つまり「質」を取るのか「量」を取るのか、若しくは現状維持でいくのか、ということです。
「対価」に関しては、介護職員の給与水準や処遇を改善すれば「質も量も確保できる」という威力を持っているため、私も含め多くの介護士たちが同じ思いを抱いていることでしょう。
財源の問題を指摘する人もいますが、実際問題、「介護職員に回す財源がないのではなく国が財源を確保する気がないだけ」であることは過去記事に書きました。
つまり、「介護職員の質と量と対価の関係性」で考えた場合、介護業界をより良くしていくには
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という3つの方法があります。
①量の確保は諦めて質と対価を上げる
とにもかくにも「誰でもかれでも雇い入れる」ということをやめて、介護職員の資質の向上に専念し、質の高いケアを提供していくことで対価も上げていく方法です。
但し、量が確保できなければ過重労働になってしまい、結局は「質の高いケア」を提供できません。
でもよくよく考えれば「現状の介護現場がこの状態」です。
何が違うかと言うと「ケアの質を求められてるのに対価が伴わない」という点です。
その結果、「質も量も確保できない本末転倒な状態」になってしまっています。
しかし、「対価を上げることで量も確保でき、ひいては質も上げていける」ということは十分にあり得ます。
②質は現状維持で更なる対価と量を確保
介護職員として当たり前の業務をしていると「割に合わない」と感じることが多々あります。
三大介護をしているだけで良いのなら別ですが、他にも書類仕事や様々な雑務があります。
また、月に夜勤を平均5回程度こなして「手取り20万円前後」では低水準と言わざるを得ません。
現状の質を維持しながら対価を上げることで量も確保できるのではないでしょうか。
しかし、質は上げようとするのに対価が殆ど変わらないため量も確保できないという悪循環の真っただ中にいるのが現状の介護現場です。
③質を下げて量を確保して対価は現状維持
対価が現状維持しか出来ないのであれば、質を下げて量を確保していく方法です。
「介護職員がやるのは三大介護だけ」「それ以上を求めるのなら自費を支払うか質の高い事業所を利用する」という方針にしてしまえば、対価も現状維持でも仕方がないと言えます。
そりゃ誰だって給料や収入は高い方が良いでしょうが、ここまでハッキリと線引きしてくれるのなら、割り切って仕事が出来ますし、「割に合わない不満」が解消されれば問題も解決することでしょう。
それこそ「質を求めなければ誰でもできますし量も確保できる可能性」もあります。
しかし現状で「質も量も求めるくせに対価は現状維持」という方針のため、「二兎を追う者は一兎も得ず」状態になってしまっているのです。
最後に
今回は、介護職員の質と量と対価の関係性について記事を書きました。
いつまでも「質も量も欲しいけど対価は現状維持」というような図々しい方針ばかり推し進めていくから結局何も得られず迷走しているのが介護業界です。
給与水準や対価などの将来性を担保することで「質も量も確保できる可能性が十分にある」のに、それをしない(できない)以上、どちらを取るかハッキリ決めていく必要があるのではないでしょうか。
現状で行っているサービスの質をこれ以上落とせないのであれば、質は現状維持をしていくにしても「やはり対価はもう少し上げて貰わないと割に合わない」のです。
コメント
そもそも質の高い介護とはなにか?ってとこから考えたいですね。
ケアプランなどの書類がしっかりしてると質が高いのか?レクや行事がたっくさんあると質が高いのか?勉強会や会議がたくさんあると質が高いのか?
介護の質って結局は利用者が満足してるかじゃないんですかね?いくら介護職が必死に書類やケアプランや記録を書いたり勉強会や委員会をしても利用者が満足してなきゃ質が高いとはいえないのでは?
利用者にしてみりゃ頼んだことを笑顔で気持ちよくやってくれるのがいい職員でしょう。トイレに行きたいときに連れて行ってくれるのがいい職員でしょう。寝たいときに寝せてくれるのがいい職員でしょう。お菓子だって好きに食べれるのがいい施設でしょう。
つまりは3大介護をいかに笑顔で気持ちよくやれるかこそが「介護の質」なんじゃないの?専門性だ何だと難しいこと言わないで介護はそこだけに特化したほうがいいと思うんだけどなぁ。
そりゃ事故が起きることもあるけど介護の質とは関係ないと思うな。
頼みもしないのに「あなたなのためです」と施設の都合でのリハビリやレクや自立支援をされたり記録に自分の様子をたくさん書かれても決して利用者の満足度は上がらないでしょうね。
>らーくさん
こんにちは~
コメントありがとうございます^^
今はそれら全ての質を求められていますよね。
頼まれていないオムツゼロや過剰な水分摂取、ユマニチュード等々や「介護のために会議をやっているのか、会議のために介護をやっているのかわからない状態」だったり見るも無残な状態です。
その辺をどうしていくのか線引きが欲しいですね。